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墜落事故の現場上空には、多くのヘリコプターが飛んで、その実力を証明したのである。

 皆様、今晩は

 今日・8月12日は、西暦1985年(昭和60年)同月同日午後6時56分、日本航空123便・東京 伊丹行のボーイング747SR―46、所謂「ジャンボジェット」が、群馬県多野郡上野村の御巣鷹の尾根に墜落した日なのである。以下、こちらでは『日航ジャンボ機墜落事故』と表記 する
 520人もの犠牲者 を出した、史上最悪と言われる、この『日航ジャンボ機墜落事故』については、様々な専門家 があらゆるメディアで取り上げたり、TVのドキュメンタリー番組などにもなったりしているものだから、詳細はパスさせて頂くけれども、こちらでは一線を画して、墜落事故に関係したヘリコプターの活躍について、書いてみよう

 事故発生から約2時間後、夜の闇に包まれた御巣鷹の尾根で、真っ赤な炎を上げて燃え上がっている、事故機の日本航空123便・ボーイング747SR―46は、航空自衛隊百里基地・航空救難団百里救難隊のV―107(バートル)救難ヘリコプターと、陸上自衛隊立川駐屯地・東部方面航空隊のUH―1Hヘリコプターによって、
「事故機を、発見。確認
 とされたのである。

 13日、夜明けと同時に、『日航ジャンボ機墜落事故』の事故現場でスタートした捜索救難活動 と、そのTV報道は殆どが、ヘリコプターによって、展開されたのである。
 陸上自衛隊習志野駐屯地の第1空挺団と、同相馬原駐屯地の第12師団(現在は第12空中機動旅団に改編)が、事故現場にリペリング(ロープ降下)や縄梯子で降下したのもヘリコプター(主に第1ヘリコプター団所属のV―107)であり、地元・群馬県警察のレンジャー部隊も警視庁航空隊のヘリコプター(富士ベル204B―2、V―107)で、事故現場に送り込まれた。
 余談ながらも書き加えておくと、警視庁航空隊の富士ベル204B―2ヘリコプターとは、ベルUH―1Bを元に民間型として開発されて、そのライセンス生産を行なった富士重工で、パワーアップされた機体である。陸上自衛隊に制式採用されて、方面航空隊や師団飛行隊に配備されている富士・ベルUH―1Jヘリコプターは、その後裔と言える

 閑話休題
 未だくすぶり続けている事故現場の中で、奇跡の生存者4名が発見されたのは、まさに劇的と言えた。
 事故現場の山の斜面にくっつくようなカタチで、陸上自衛隊のヘリコプター(前述 の第1ヘリコプター団所属V―107)のホバーリング(空中停止)で、奇跡の生存者4名が第1空挺団の空挺隊員に吊り上げられて 、病院へ急行する感動のシーンは、日本全国へテレビカメラでライブで映し出されて、感動の波紋を広げたのである。

 この時の取材方法は、ヘリコプターでテレビカメラや中継システム機材、カメラマンやアナウンサーを事故現場に送り込んで、事故現場の映像を、東京のステーションへマイクロウェーブで送信したのである。
 因みに、マイクロウェーブで電波を送信するには、事故現場が山岳地帯であるが故に、一度上空にいるヘリコプターに電波を送信してから、東京のステーションへと、2段送信したのである 丁度、人工衛星の送信システム のような役目を、ヘリコプターが果たしたという訳である。
 それと同じ頃、日本航空の高木養根社長(当時)を始めとする役員や社員も大挙して、群馬県の御巣鷹の事故現場に向かっていたのであるが、その交通手段としてバス、車輛、列車はもとより、ヘリコプターも動員されていた。

 それから暫くすると、『日航ジャンボ機墜落事故』の、犠牲者 の遺体搬出が開始されたのである。主に陸上自衛隊立川駐屯地・東部方面航空隊のUH―1Hヘリコプターが使用されて、自衛隊員が黙々と、毛布に包まれた犠牲者 の遺体を、ヘリコプターの機内に次々に載せて行った。御巣鷹の山麓の、上野村中学校の校庭に設けられた臨時へリポートからは、今度は民間ヘリコプターが納棺された遺体を載せて、羽田空港に飛んだ。

 自衛隊、警察、運輸省(現在の国土交通省)やその他の政府機関の責任者も続々と、上野村に到着した。しかしながら、事故現場の御巣鷹は深くて、道も険峻である。殆どの人がヘリコプターに乗っていかなければ、事故現場に到達出来なかった
 犠牲者の遺族もまた、山麓で不安と不満を募らせていた。とは言えど、御巣鷹まで徒歩 で登攀して行くのは、危険であった。現に途中の道路で上から落ちて来た石に当たって、亡くなってしまった人もいる。
 そこで、ヘリコプターをチャーターして飛ぼう と考えた人も、多い。しかしながら、その為に事故現場付近を飛行するヘリコプターの機数が増加しては、また新しい事故が発生してしまう可能性もある。そしてまた、費用もかかる。そこで日本航空は大型ヘリコプターを1機チャーターして、遺族団に提供して、空からの弔問飛行が、何度も行われた。

 最後は、事故機の残骸を搬出する作業である。事故原因究明の鍵ともいうべき、機体後部の与圧隔壁はもとより、炎上して黒焦げになった総量150トンの残骸が、大型民間ヘリコプターの何十回というピストン空輸によって、余す所なく運び出された。このヘリコプターは普段から、山岳地帯の建設資材輸送や木材搬出などをしていて、最大搭載容量は4.5トンと、日本最大で、優れた能力を持っていたのである(Mi―8PA)。
 そして最後には、中曽根康弘内閣総理大臣(当時)自らもヘリコプターに乗って事故現場に降り立つと同時に、『日航ジャンボ機墜落事故』の状況を視察 した。

 西暦1985年8月12日に発生した、『日航ジャンボ機墜落事故』はこのようにして、はからずもヘリコプターの威力と能力を、大勢の人々に、印象付ける事になった。「明日があるさ」や「上を向いて歩こう」などの歌手の坂本九さんや、元宝塚歌劇団娘役で女優の北原遥子さんや、ハウス食品社長の浦上郁夫さんなどが、犠牲 になってしまった、まことに悲しい出来事ではあったけれども、火災現場には消防車が急行 して、交通事故などには救急車が急行する事と同じように、大惨事や大災害の後始末にはヘリコプターが必要不可欠である事を証明したものと言えるであろう。

 それは、『阪神・淡路大震災』や、『新潟県中越地震』や、最近の台風9号による災害などで、警察や消防や自衛隊などの各種のヘリコプターが、被災者や傷病者を、医療機関に急送したり、被災地 に援助物資 をピストン空輸する為に飛び回っていた事などからも、容易に窺い知る事が出来る。
 ヘリコプターは、大惨事や大災害の時には「天の助け」となるのである
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鷲尾ミサゴ龍輔

Author:鷲尾ミサゴ龍輔
アニメーション『ニルスの不思議な旅』&航空機関係作品&音楽鑑賞&航空機&日本国自衛隊の資料収集が大好きな、東京都民です。

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