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お買い物に便利なのが、「ヘルメットバッグ」なのである。

 皆様、今晩は

 以前のブログ の中で、わたしの愛用している「マイバッグ」に関係するお話 を、書かせて頂いた。これは2度目(再録)なのであるが 、それと同じ内容に少しばかりアレンジを加えて、書いてみる事にしよう
 これは、わたし自身なりに、『環境保護問題』などの観点から、書かせて頂いた事なのであるが、美しい自然の環境を、いつまでも大切に守って行く為には、小さな努力 も、無駄 にはならないであろう

 そういう意味で、わたしも現在使用中の「マイバッグ」以外で、是非とも欲しいバッグがある。それが、「ヘルメットバッグ」というアイテムなのである
 今回もまた、「マイバッグ」に関係するお話 である事は、不変なのだから

「ヘルメットバッグ」は、機能性と合理性を兼ね備えて、さらに耐久性をも追求されて作られたのである。これは文字通り、航空機やヘリコプターのパイロットやエアクルーなどが、飛行時の必需品である「航空ヘルメット」や、レーシング・ドライバーが着用するスーツの素材と同じ難燃性繊維・ノーメックスで出来た「航空グローブ」を収納する為のバッグなのであるが、これ以外にも航空チャートや、地図 や、コンパスなどの、飛行に必要な品々を航空機の中に持ち込む為にも、重宝されているのである
 サイズは、50×50cmの、大型のものが多いようである

「ヘルメットバッグ」の概要は、以下の通りである
 ファスナーは、開閉が楽な、大きめのジッパーが付いているのである。インナー(内装)は、「航空ヘルメット」を傷付けないように、キルティング加工されたライナーが、使用されていて、インナーの両サイドにもポケットが付いている。外側にも、大きなポケットが2個付いていて、その取り出し口は、マジックテープとスナップボタンで留められるようになっている。 
 近年の「ヘルメットバッグ」は、材質にコーデュロイナイロン(厚地のナイロン生地)を使用して、ショルダーストラップを追加して、とても使い易くアレンジしているものが、多くなっている。その色も、従来はグリーンがメインなのであったが、近年では明るいグレーや、砂漠地方向け()のカーキ色や、迷彩のものなども、増えて来たのである
 それほどまでに、豊富なバリエーションがあるのだから、何処にでも有り触れているような、ショッピングバッグよりは、こちらの方が良い

 スーパーなどでのお買い物の際に、この「ヘルメットバッグ」を「マイバッグ」として使用すると、インナーの両サイドのポケットには、財布や小銭入れが、すっぽりと入るし、そしてお買い物の品々も、いっぱい入るであろうから、かなり便利に使用出来るであろう
 男性的なアイテムと言える、「ヘルメットバッグ」なのであるが、先の意味では冗談抜きで、「専業主婦」の方々にもお薦め出来るかも もっとも、その値段は後述 する通り、とても高価 になるのであるが

「ヘルメットバッグ」は、日本では大手の有力ミリタリーショップに於いても、6000円~7000円で販売されているのであるが、米軍基地のイベントでも、同程度の価格で販売されている。後者の場合は、飛行隊のエンブレムを刺繍している事が多くて、日本国内の、日米両軍の航空ショーやイベントでは、こうした飛行隊のエンブレムを刺繍している「ヘルメットバッグ」を持参している人間が、日米両軍パイロットやエアクルー、飛行機大好き人間も含めて、非常に多い
 実際、22日(土曜日)と23日(日曜日)の2日間にわたって、米軍横田基地で開催された、『日米親善友好祭』の時にも、こうした「ヘルメットバッグ」を提げて、闊歩 している飛行機大好き人間は、多かったのである
 その「ヘルメットバッグ」の多くが、アメリカ海軍第5空母航空団のものであった

 航空自衛隊や海上自衛隊のパイロットやエアクルーも「ヘルメットバッグ」を、支給品や私物で使用している事が多いのである。特に、海上自衛隊では、アメリカ海軍の影響なのであろうか、私物の「ヘルメットバッグ」に、ウィングマーク(航空徽章)や自分の所属する飛行隊のエンブレムを、特注で刺繍するのが、大流行しているのである
「ヘルメットバッグ」は一見、ただのグリーンのズタ袋にも見えるものなのであるが、ウィングマーク(航空徽章)や飛行隊のエンブレムを刺繍すれば、まさしく、「世界に一つだけのオリジナル」になるのである

 前述 したように、近年は「ヘルメットバッグ」に、ショルダーストラップを追加して、とても使い易くアレンジした他にも、外側の大きな2個のポケットに、マジックテープを取り付けて、部隊パッチ(マジックテープ張りにしたもの)を取り付けられるようになっているものも販売されているのである。この方式であると、一般人や飛行機大好き人間にとっては、自分のお好みの、あらゆる種類の飛行隊や部隊パッチを、自由に付け替えて楽しめるという、本当に大きなメリットがある

 もしもこの先、わたしが「ヘルメットバッグ」を買ったとすると、ストレートにそのまま使う事もあると思う。それで、十分な予算があるのならば、わたしの一番大好きなアニメーション『ニルスの不思議な旅』の主人公のニルス、ハムスターのキャロット、白鵞鳥のモルテンを、思い切り派手 に刺繍してみたくなるのである
 それを提げて「お買い物」や、秋葉原や、アニメーション関係のイベントなどに出掛けて 行けば、注目される事は、確実であろう。ニルス自身であれば、本当に実行するような気がする
 そうなれば、まさしく「旅人」の旅行用バッグにもなるであろう

 先程も書いた事であるが、外側の大きな2個のポケットに、マジックテープを取り付けて、部隊パッチ(マジックテープ張りにしたもの)が取り付けられるようになっているものだと、自分のお好みの、あらゆる種類の飛行隊や部隊パッチを、自由に付け替えて楽しめるのだから、豊富なバリエーション()が、増えて行きそうである

 西暦1980年(昭和55年)、アニメーション『ニルスの不思議な旅』がTVで「リアルタイム放送」されていた当時は、主人公のニルスと、ハムスターのキャロットがプリントされたスポーツバッグが発売されていたのであるが、前述 のように、思い切り派手 な刺繍をした「ヘルメットバッグ」であると、相当にマニアック()なアイテムになりそうである

 アニメキャラクターを思い切り派手 に刺繍した「ヘルメットバッグ」をお持ちの方がいらしたら、是非見せて頂きたいものである
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これは、後になってから、気が付いた事なのである。

 皆様、今晩は

 8月22日(土曜日)と23日(日曜日)の2日間にわたって、米軍横田基地で開催された『日米親善友好祭』も、終わった。そこで今回は、その2日間の「後日談」 的に、書いてみる事にしよう

 米軍横田基地の『日米親善友好祭』のメイン会場である、大格納庫の一角では、米軍横田基地に司令部を置く第5空軍が出店していたのである。昨年までは、第5空軍の特製Tシャツの他にも、部隊パッチを販売している事もあったのだが、今年は特製Tシャツのみで、部隊パッチの販売はしていなかったらしい。
 そしてまた、第5空軍のブースと反対の一角では、海兵隊がブースを出店して、こちらも様々なグッズを販売していた。赤地に黄色で『U.S.M.C.』という大きな文字を書いた看板が、その目印だったのである。こちらは、主に戦闘服が、メインだったのであろうか。

 8月22日(土曜日)と23日(日曜日)の2日間にわたって、エプロンに展示されて、大勢の人々から注目されていたロッキード・マーチンF―22・ラプター戦闘機などの様々な航空機と共に、2機ほど展示されたF/A―18・ホーネット戦闘攻撃機の前でも、エビエーター(海軍と海兵隊では、パイロットの事をこう呼んでいる)が、部隊パッチやTシャツなどの様々なグッズを販売していたのであるが、わたしは、海兵隊のグッズは、あまり買った事がないのである。

 西暦2006年(平成18年)の時から、昨年・西暦2008年(平成20年)まで、米軍横田基地で開催された『日米親善友好祭』には、米海軍の第7艦隊司令部がある、神奈川県の米軍横須賀基地の、EOD(爆発物処理隊)が参加していて、不発弾などの爆発物の処理作業の時に着装する、宇宙服 のような「耐爆スーツ」を展示したり、ノクトビジョン(赤外線暗視装置)装着型のヘルメットや鎧のような防弾ベスト、(使用済みであるが)米軍制式採用兵器である、M―72A2ロケットランチャーまで展示していた事もあった。わたしはその時に、ヘルメットや、防弾ベストを装着した「完全武装」の姿で、M―72A2ロケットランチャーを構えてみたのである
 今年は、米軍横須賀基地のEOD(爆発物処理隊)が、参加していなかったのが、少し残念である。

 今回は、栃木県宇都宮市の北宇都宮駐屯地の第12空中機動旅団の、第12ヘリコプター隊・第1飛行隊のUH―60JA汎用ヘリコプターも参加していたのであるが、前身である第12師団(司令部:群馬県相馬原駐屯地)が西暦2001年(平成13年)3月27日 に、現在の第12空中機動旅団に改編される前は、74式戦車 やら、口径155mmのFH―70榴弾砲やら、87式偵察警戒車が、展示された事もあった
 第12師団から第12空中機動旅団への改編に伴って、第12戦車大隊 は廃止されて、また第12特科連隊も規模が縮小されたのであるが、87式偵察警戒車の砲塔に登って 、睥睨 した時の気持ちの良さは、今でも忘れられない。今度は、富士教導団戦車教導隊の90式戦車 でも展示して頂きたいものである

 今回は、航空自衛隊府中基地の基地業務群から、軽装甲機動車が参加して、航空自衛隊の迷彩の88式鉄帽(ヘルメット)や、防弾ベストまでも展示していて、それを着用した上での写真撮影も出来たのである。勿論、軽装甲機動車にも乗る事が出来た。
 個人的に言えば、軽装甲機動車や88式鉄帽や防弾ベストと共に、口径9mmのSIG・P―220自動拳銃、口径7.62mmの64式自動小銃、米軍でも制式採用している口径5.56mmのMINIMI多用途機関銃も、展示して頂きたかったところである

 沖縄県の嘉手納基地からは、特殊作戦用機MC―130H・コンバットタロンが参加していたのであるが、同時にこれに乗って来て参加していたのだろう、空軍PJ(パラジャンパー)もブースを出して参加していたそうである。そして、空軍PJが使用する、様々な銃器も展示されていたのである
 45口径のコルト・ガバメントM―1911A1自動拳銃、口径9mmのM―9自動拳銃、口径7.62mmのM―240多用途機関銃、M―14系列の狙撃銃、12番径のレミントン・M―870スライドアクション・ショットガンもあったという
 M―9自動拳銃は、イタリア共和国製のベレッタM―92自動拳銃を、そのまま制式採用したものであり、アクション映画やTVアニメーションなどでも、御馴染みの銃器になっている

 口径7.62mmのM―240多用途機関銃は、ベルギー王国製の、FN(ファブリック・ナショナル)社製のMAG多用途機関銃をアレンジして、M―60多用途機関銃の後継として制式採用したものであるが、MAG多用途機関銃はベルギーを始め、イギリスや、スウェーデンや、イスラエルでも制式採用している。
 このMAG多用途機関銃を車載銃として改良した、MAG―58機関銃もあり、アメリカのM―1A2・エイブラムス、イスラエルのメルカバ、イギリスのチャレンジャーなどの主力戦車の車載銃として制式採用されている。
 いつもながら、この種の銃器は、持ってみたいという人が、さぞや多かった事であろう

 最後に書いた、嘉手納基地から参加した空軍PJに気付かなかったのは、今回の米軍横田基地の『日米親善友好祭』で、悔やまれるところなのである。

米軍横田基地・『日米親善友好祭』 8月23日

 皆様、今晩は

 わたしは、明日(22日)と今日(23日)の2日間にわたって、米軍横田基地で開催される、『日米親善友好祭』に出掛けていたのである
 今日は、その第2日目なのである

 わたしは、昨日と同様に、午前6時00分に家を出発して、陸上自衛隊立川駐屯地を経由して、五日市街道を西進 してから、午前7時00分を少し過ぎた頃に、米軍横田基地に到着したのである
『日米親善友好祭』の会場への入口となる、第5ゲートには、今朝は徒歩 の入場者の他にも、わたしより先に、2台ほど自転車の人間が到着していたのである。わたしは、青になると同時に、国道16号線を渡渉して、米軍横田基地の防音壁に並んだのだが、国道16号線をひっきり無しに通行する車輛  に巻き込まれないように、自転車を出来るだけ車道から離しながら、徒歩 の入場者と共に、待っていた。
 第5ゲートの開門までは、余裕があり過ぎるので、わたしは用意していたCDを聴きながら 、待ち続けていた。

 そして、第5ゲートの、開門の瞬間が来た
 例年は、午前9時00分に第5ゲートが開門するのであるが、今日は開門が、昨日よりも、10分ほど早められた。それもその筈で、国道16号線の交差点に、あまりにも大勢の人々が集まり過ぎていたのである。様々なファッションの人々が集まっていた。飛行機大好き人間の多くは昨日と同様に、ロッキード・マーチンF―22・ラプター戦闘機を見に来た人々であろう
 横断歩道からはみ出さんばかりに溢れかえっていて、福生警察署と第9機動隊の警察官が、交通規制にあたっていた。M―9自動拳銃や無線機などを腰に提げた、日本人警備員の誘導によって、わたし達は米軍横田基地の中に入って行った。わたしの愛用の自転車は、駐輪場に置いた。

 第5ゲートに設けられた「関所」では、昨日と同様、M―9自動拳銃や無線機などを腰に提げた、空軍憲兵隊による手荷物検査が行われてから、一斉にわたし達は米軍横田基地の中を走り出したのである。勿論、お目当ては、F―22・ラプター戦闘機なのである
 わたしは、様々な模擬店がずらりと立ち並ぶ、メイン会場を通り抜けて、航空機展示場であるエプロン(駐機場)に向かって、息が切れるまで走って行った

 航空機展示場の航空機とその配列は、昨日と同じなので省略するが、F―22・ラプター戦闘機×2機を、大勢の人々が、砂糖の山に群がり集う蟻 の大群のように取り囲んで、F―22・ラプター戦闘機×2機が格好の被写体になっていた事は、書くまでも無いであろう。わたしは昨日に引き続いて、C―5B・ギャラクシー軍用超大型長距離輸送機に向かって、全速力で走って行った。コクピット(操縦室)の操縦席に座るのが、目的であり、夢だったのである
 昨日も書いた 通り、わたしは昔から、米軍横田基地で開催される『日米親善友好祭』で、C―5A/B・ギャラクシー軍用超大型長距離輸送機が展示されるのならば、わたしはコクピット(操縦室)に登って その操縦席に座りたくなるのである
 わたしは早いうちに行列に並んでいて、胴体前部左側から出る階段を経て、機内の前部左側の階段を登って 、コクピットに入って、わたしが『スターの座』と呼んでいる(この詳細は、昨日の書き込み を参照して下され)、操縦席に座っての撮影の後で、わたしはゆったりとした気持ちで、休憩室 の椅子に腰掛けて、暫しくつろいでいた
 C―5B・ギャラクシー軍用大型長距離輸送機にいた時間の方が、長かったように思えるのである
 
 わたしは昼食の時間帯になると、エプロンの一角にある模擬店で「ホットリンクス」という、パンに太いソーセージを挟んだだけの、実にシンプルなホッドドッグを2~3本買った(この詳細は、昨日の書き込み を参照して下され)。本当なら「ステーキセット」を買いたかったのだが、エプロンとメイン会場を往復するのが大変な為、今回は「ホットリンクス」で、素早く済ませたのである。勿論、ビール もさる事ながら、コーラ や水が、飛ぶように売れていたのも、当然の成り行きと言えた事であろう

 また、昨日と同様に、沖縄県の米陸軍鳥居通信基地の第1特殊部隊第1大隊によるパラシュート降下のデモンストレーションも、行なわれたのである。第36輸送飛行隊のC―130H・ハーキュリーズ大型輸送機×3機  のうち2機(一番先頭の1機は先導役)から1機につき6名、計12名の特殊部隊隊員が、次々に降下して、晩夏の空に緑色の花を咲かせたのである。こちらは、一般的な、スタティックライン・ジャンプ(自動索開傘式のパラシュートによる空挺降下)なのであるが、高度は500m~600mだと思う

 高高度まで上昇していた1機のC―130H・ハーキュリーズ大型輸送機から、スポーツのスカイ・ダイビングで使用するものと同じ、四角いスクウェア・タイプのパラシュートで、5名の特殊部隊隊員が降下して来た。これは、一定の高度まで自由降下した後、パラシュートを開傘する、HAHO(高高度降下低高度開傘)という、特殊部隊でよく使用されている、『高等テクニック』なのである
 西暦2005年(平成17年)2月11日(建国記念の日)、わたしが『ニルスの不思議な旅』TVシリーズのDVD―BOX全2巻を同時に買った時も、これと同じような気持ちだったのである

 第1特殊部隊第1大隊の5名の特殊部隊隊員が、見事に、しかもわたし達大勢の人々のすぐ近くにまで「ピンポイント降下」で降りて来て、素早くパラシュートを畳んで、大きなカバン に入れて歩いて来ると、5名の特殊部隊隊員が降下して来るのを見ていた大勢の人々から、殆ど同時に、大きな拍手が起こったのである。わたしもまた、
「HAVE A NICE DAY
 と言いながら、拍手を送った。
 労いの意味で、特殊部隊隊員の肩を叩いて行く人もいれば、記念写真を撮影している人もいる。パラシュートで降下して来た、特殊部隊隊員に向けられる視線は、航空機パイロットに向けられる視線とは、少し違うようである
「空挺隊員」(日米)、「降下猟兵」(ドイツ)などと、国によって呼び方は違うのであるが、何処の国でも空挺部隊は、エリート中のエリートとして、また緊急展開部隊としても、一目置かれている。
 特殊部隊は、空挺部隊のさらに上 を行くエリート部隊なのであるが、特殊部隊の将兵は、空挺部隊やレンジャー部隊から選抜された者が多いのは言うまでもない。

 午後2時00分頃になって、空軍憲兵隊によって、規制線がエプロンに張られた。日本国自衛隊や米海兵隊などの、一部の外来機の帰還の時間が来たのである。
 午後3時00分頃になってから、陸上・海上・航空の、各自衛隊の外来機は各々のホームベースに帰り始めたのであるが、ランウェイ18(箱根ヶ崎寄り)から離陸して、一度米軍横田基地の上空を一周した後、再びランウェイ18に進入して、主翼や胴体を左右に振る「さよならバンク」で飛び去って行くのが多かった。日本国自衛隊の駐屯地祭か基地の航空祭で、またお会い出来ます事を

 岐阜基地の飛行開発実験団のXF―2B戦闘機が、離陸して、上空を一周した後、再びランウェイ18に進入して、「さよならバンク」をした後、ハイレート・クライム(垂直離陸)して行くと、あっという間に雲海の中に消えてしまった。わたしは、XF―2B戦闘機を、『ニルスの不思議な旅』最終回“さようなら アッカ”のラストで、アッカ隊長が率いる雁の群れを見送る ニルスのような目で、見送っていたと思う。

 近隣の立川駐屯地の、東部方面航空隊の2機―富士ベルUH―1J・イロコイス汎用ヘリコプターとOH―6D・カイユース観測ヘリコプター―の2機は、ランウェイ18をストレートに離陸して、上空を最小旋回半径で一周した後、立川駐屯地に向かって、飛び去って行った。わたしはその2機を見送りながら、富士ベルUH―1J・イロコイス汎用ヘリコプターにわたし自身と愛用の自転車を搭載して、立川駐屯地まで帰還するついでに、送って行ってほしいものだな……と思ったのである。そうなれば、自転車を走らせる距離も半減する

 日米両軍の軍事演習では、よくある事なのであるが、前述 のUH―1・イロコイス汎用ヘリコプターや、UH―60・ブラックホーク汎用ヘリコプターの機体両側に特製のラックを装着して、そこにオフロード・バイクを搭載して、飛行している事が多い。これはヘリコプターとオフロード・バイクとの連携によって、キメ細かな敵情偵察 を行なおうというものであるが、こうした事は、ベトナム戦争の経験からも来ている事なのであろう
 ヘリコプターとオフロード・バイクの連携は、何も戦時ばかりではなく、大震災などの「災害派遣」の時にも、被災者や生存者の捜索救助に、大いに役立つのである

 毎年10月 下旬(今年は10月 26日に開催予定)に、立川駐屯地で開催されている『立川防災航空祭』では、最大の見せ場となる「災害派遣訓練展示」で、地元の東部方面航空隊のUH―1・イロコイス汎用ヘリコプターが、被災地に設定された会場正面に着陸すると同時に、東部方面隊第1師団・第1偵察隊 (練馬駐屯地)の排気量250ccクラスのオフロード・バイク×2台を、機内から素早く降ろして、状況確認の為に被災地に向かう、というシークェンスがよくあるのだが、最近の防災訓練では、意外な事に、航空自衛隊のUH―60J救難ヘリコプターに、陸上自衛隊の偵察隊 の排気量250ccクラスのオフロード・バイク×2台を搭載して、着陸すると同時に、機内から素早く降ろして、やはり状況確認の為に被災地の偵察に向かう、という、ユニークな場面もあった。それと同様に、やって頂きたいものである

 そして、入間基地に帰還する、航空総隊司令部飛行隊のT―4練習機も、第402飛行隊の川崎C―1輸送機も、厚木航空基地に帰還する第3航空群第3航空隊のP―3C哨戒機も、同じように、主翼や胴体を左右に振る、「さよならバンク」で各々のホームベースに向けて、飛び去って行った。
 北宇都宮駐屯地に帰還する、第12空中機動旅団第12ヘリコプター隊・第1飛行隊のUH―60JA汎用ヘリコプターとCH―47JA大型輸送ヘリコプターもまた、他の航空機やヘリコプターに負けじとばかりに、機動力の高さを、そして第12空中機動旅団独自の、「意地」 を見せつけたのである。同じように、栃木県に帰る人々も、
「抽選の上、発表を以って」
 北宇都宮駐屯地の、第12空中機動旅団第12ヘリコプター隊・第1飛行隊のUH―60JA汎用ヘリコプターとCH―47JA大型輸送ヘリコプターに乗せてやれば良いのだが(クイズ番組でもあるまいし)。

 午後5時00分。
 日本国自衛隊や、米海兵隊などの、一部の航空機帰還した後で、もう一度、エプロンが開かれた。それでも、午後6時00分には、花火大会の為にエプロンが閉鎖になるのだから、わたしはその前に、ロッキード・マーチンC―5B・ギャラクシー軍用超大型長距離輸送機をバックにして、最後の記念写真を撮影したのである。

 最後に、米軍横田基地の花火大会も、見て行こうかと思ったのであるが、さすがに歩き疲れたものだし、多くのブースのディナーも、売り切れてしまっていたものだから、わたしは米軍横田基地の『日米親善友好祭』から離脱する事に決定した。昨日と同じように、牽引車を改造した「トレインライド」100)に乗って、第5ゲートに向かったのである
 1日中歩きづめで疲れた人は、100を払って、「トレインライド」を利用して、第5ゲートに向かっていたのである。歩き疲れた人は、みんな同じ事を考えて、「トレインライド」を利用するのか。

 わたしは「トレインライド」に乗って、第5ゲートの付近に到着してから「トレインライド」を降りると、自転車駐輪場に向かって行った。そして、ゲートの哨舎の前を通る時に、米軍制式自動小銃・コルトM―16A2のバリエーション、M―4A1カービン銃をスリング(吊り革)で肩から掛けて、腰にM―9自動拳銃を提げて、哨舎の前に立っていた空軍憲兵隊に、敬礼した。
 それから、自転車駐輪場に行って、朝の入場の時から、そこに止めておいた愛用の自転車に乗ってから、国道16号線から五日市街道を経由して、帰宅したのである。 しかしながら、わたし自身の本音としては、前述 の、陸上自衛隊立川駐屯地・東部方面航空隊の富士ベルUH―1J・イロコイス汎用ヘリコプターに、わたし自身と愛用の自転車を搭載して、帰還するついでに送って行って欲しかった

 足の皮が破れてしまうのでは と思ったほどに、歩いたり 、走ったりして、時としては疲れたりもしたが、結論としては、とても楽しい2日間であった
 機会があれば、また米軍横田基地の『日米親善友好祭』に行きたい ものである

米軍横田基地・『日米親善友好祭』 8月23日

 皆様、今晩は

 わたしは、明日(22日)と今日(23日)の2日間にわたって、米軍横田基地で開催される、『日米親善友好祭』に出掛けていたのである
 今日は、その第2日目なのである

 わたしは、昨日と同様に、午前6時00分に家を出発して、陸上自衛隊立川駐屯地を経由して、五日市街道を西進 してから、午前7時00分を少し過ぎた頃に、米軍横田基地に到着したのである
『日米親善友好祭』の会場への入口となる、第5ゲートには、今朝は徒歩 の入場者の他にも、わたしより先に、2台ほど自転車の人間が到着していたのである。わたしは、青になると同時に、国道16号線を渡渉して、米軍横田基地の防音壁に並んだのだが、国道16号線をひっきり無しに通行する車輛  に巻き込まれないように、自転車を出来るだけ車道から離しながら、徒歩 の入場者と共に、待っていた。
 第5ゲートの開門までは、余裕があり過ぎるので、わたしは用意していたCDを聴きながら 、待ち続けていた。

 そして、第5ゲートの、開門の瞬間が来た
 例年は、午前9時00分に第5ゲートが開門するのであるが、今日は開門が、昨日よりも、10分ほど早められた。それもその筈で、国道16号線の交差点に、あまりにも大勢の人々が集まり過ぎていたのである。様々なファッションの人々が集まっていた。飛行機大好き人間の多くは昨日と同様に、ロッキード・マーチンF―22・ラプター戦闘機を見に来た人々であろう
 横断歩道からはみ出さんばかりに溢れかえっていて、福生警察署と第9機動隊の警察官が、交通規制にあたっていた。M―9自動拳銃や無線機などを腰に提げた、日本人警備員の誘導によって、わたし達は米軍横田基地の中に入って行った。わたしの愛用の自転車は、駐輪場に置いた。

 第5ゲートに設けられた「関所」では、昨日と同様、M―9自動拳銃や無線機などを腰に提げた、空軍憲兵隊による手荷物検査が行われてから、一斉にわたし達は米軍横田基地の中を走り出したのである。勿論、お目当ては、F―22・ラプター戦闘機なのである
 わたしは、様々な模擬店がずらりと立ち並ぶ、メイン会場を通り抜けて、航空機展示場であるエプロン(駐機場)に向かって、息が切れるまで走って行った

 航空機展示場の航空機とその配列は、昨日と同じなので省略するが、F―22・ラプター戦闘機×2機を、大勢の人々が、砂糖の山に群がり集う蟻 の大群のように取り囲んで、F―22・ラプター戦闘機×2機が格好の被写体になっていた事は、書くまでも無いであろう。わたしは昨日に引き続いて、C―5B・ギャラクシー軍用超大型長距離輸送機に向かって、全速力で走って行った。コクピット(操縦室)の操縦席に座るのが、目的であり、夢だったのである
 昨日も書いた 通り、わたしは昔から、米軍横田基地で開催される『日米親善友好祭』で、C―5A/B・ギャラクシー軍用超大型長距離輸送機が展示されるのならば、わたしはコクピット(操縦室)に登って その操縦席に座りたくなるのである
 わたしは早いうちに行列に並んでいて、胴体前部左側から出る階段を経て、機内の前部左側の階段を登って 、コクピットに入って、わたしが『スターの座』と呼んでいる(この詳細は、昨日の書き込み を参照して下され)、操縦席に座っての撮影の後で、わたしはゆったりとした気持ちで、休憩室 の椅子に腰掛けて、暫しくつろいでいた
 C―5B・ギャラクシー軍用大型長距離輸送機にいた時間の方が、長かったように思えるのである
 
 わたしは昼食の時間帯になると、エプロンの一角にある模擬店で「ホットリンクス」という、パンに太いソーセージを挟んだだけの、実にシンプルなホッドドッグを2~3本買った(この詳細は、昨日の書き込み を参照して下され)。本当なら「ステーキセット」を買いたかったのだが、エプロンとメイン会場を往復するのが大変な為、今回は「ホットリンクス」で、素早く済ませたのである。勿論、ビール もさる事ながら、コーラ や水が、飛ぶように売れていたのも、当然の成り行きと言えた事であろう

 また、昨日と同様に、沖縄県の米陸軍鳥居通信基地の第1特殊部隊第1大隊によるパラシュート降下のデモンストレーションも、行なわれたのである。第36輸送飛行隊のC―130H・ハーキュリーズ大型輸送機×3機  のうち2機(一番先頭の1機は先導役)から1機につき6名、計12名の特殊部隊隊員が、次々に降下して、晩夏の空に緑色の花を咲かせたのである。こちらは、一般的な、スタティックライン・ジャンプ(自動索開傘式のパラシュートによる空挺降下)なのであるが、高度は500m~600mだと思う

 高高度まで上昇していた1機のC―130H・ハーキュリーズ大型輸送機から、スポーツのスカイ・ダイビングで使用するものと同じ、四角いスクウェア・タイプのパラシュートで、5名の特殊部隊隊員が降下して来た。これは、一定の高度まで自由降下した後、パラシュートを開傘する、HAHO(高高度降下低高度開傘)という、特殊部隊でよく使用されている、『高等テクニック』なのである
 西暦2005年(平成17年)2月11日(建国記念の日)、わたしが『ニルスの不思議な旅』TVシリーズのDVD―BOX全2巻を同時に買った時も、これと同じような気持ちだったのである

 第1特殊部隊第1大隊の5名の特殊部隊隊員が、見事に、しかもわたし達大勢の人々のすぐ近くにまで「ピンポイント降下」で降りて来て、素早くパラシュートを畳んで、大きなカバン に入れて歩いて来ると、5名の特殊部隊隊員が降下して来るのを見ていた大勢の人々から、殆ど同時に、大きな拍手が起こったのである。わたしもまた、
「HAVE A NICE DAY
 と言いながら、拍手を送った。
 労いの意味で、特殊部隊隊員の肩を叩いて行く人もいれば、記念写真を撮影している人もいる。パラシュートで降下して来た、特殊部隊隊員に向けられる視線は、航空機パイロットに向けられる視線とは、少し違うようである
「空挺隊員」(日米)、「降下猟兵」(ドイツ)などと、国によって呼び方は違うのであるが、何処の国でも空挺部隊は、エリート中のエリートとして、また緊急展開部隊としても、一目置かれている。
 特殊部隊は、空挺部隊のさらに上 を行くエリート部隊なのであるが、特殊部隊の将兵は、空挺部隊やレンジャー部隊から選抜された者が多いのは言うまでもない。

 午後2時00分頃になって、空軍憲兵隊によって、規制線がエプロンに張られた。日本国自衛隊や米海兵隊などの、一部の外来機の帰還の時間が来たのである。
 午後3時00分頃になってから、陸上・海上・航空の、各自衛隊の外来機は各々のホームベースに帰り始めたのであるが、ランウェイ18(箱根ヶ崎寄り)から離陸して、一度米軍横田基地の上空を一周した後、再びランウェイ18に進入して、主翼や胴体を左右に振る「さよならバンク」で飛び去って行くのが多かった。日本国自衛隊の駐屯地祭か基地の航空祭で、またお会い出来ます事を

 岐阜基地の飛行開発実験団のXF―2B戦闘機が、離陸して、上空を一周した後、再びランウェイ18に進入して、「さよならバンク」をした後、ハイレート・クライム(垂直離陸)して行くと、あっという間に雲海の中に消えてしまった。わたしは、XF―2B戦闘機を、『ニルスの不思議な旅』最終回“さようなら アッカ”のラストで、アッカ隊長が率いる雁の群れを見送る ニルスのような目で、見送っていたと思う。

 近隣の立川駐屯地の、東部方面航空隊の2機―富士ベルUH―1J・イロコイス汎用ヘリコプターとOH―6D・カイユース観測ヘリコプター―の2機は、ランウェイ18をストレートに離陸して、上空を最小旋回半径で一周した後、立川駐屯地に向かって、飛び去って行った。わたしはその2機を見送りながら、富士ベルUH―1J・イロコイス汎用ヘリコプターにわたし自身と愛用の自転車を搭載して、立川駐屯地まで帰還するついでに、送って行ってほしいものだな……と思ったのである。そうなれば、自転車を走らせる距離も半減する

 日米両軍の軍事演習では、よくある事なのであるが、前述 のUH―1・イロコイス汎用ヘリコプターや、UH―60・ブラックホーク汎用ヘリコプターの機体両側に特製のラックを装着して、そこにオフロード・バイクを搭載して、飛行している事が多い。これはヘリコプターとオフロード・バイクとの連携によって、キメ細かな敵情偵察 を行なおうというものであるが、こうした事は、ベトナム戦争の経験からも来ている事なのであろう
 ヘリコプターとオフロード・バイクの連携は、何も戦時ばかりではなく、大震災などの「災害派遣」の時にも、被災者や生存者の捜索救助に、大いに役立つのである

 毎年10月 下旬(今年は10月 26日に開催予定)に、立川駐屯地で開催されている『立川防災航空祭』では、最大の見せ場となる「災害派遣訓練展示」で、地元の東部方面航空隊のUH―1・イロコイス汎用ヘリコプターが、被災地に設定された会場正面に着陸すると同時に、東部方面隊第1師団・第1偵察隊 (練馬駐屯地)の排気量250ccクラスのオフロード・バイク×2台を、機内から素早く降ろして、状況確認の為に被災地に向かう、というシークェンスがよくあるのだが、最近の防災訓練では、意外な事に、航空自衛隊のUH―60J救難ヘリコプターに、陸上自衛隊の偵察隊 の排気量250ccクラスのオフロード・バイク×2台を搭載して、着陸すると同時に、機内から素早く降ろして、やはり状況確認の為に被災地の偵察に向かう、という、ユニークな場面もあった。それと同様に、やって頂きたいものである

 そして、入間基地に帰還する、航空総隊司令部飛行隊のT―4練習機も、第402飛行隊の川崎C―1輸送機も、厚木航空基地に帰還する第3航空群第3航空隊のP―3C哨戒機も、同じように、主翼や胴体を左右に振る、「さよならバンク」で各々のホームベースに向けて、飛び去って行った。
 北宇都宮駐屯地に帰還する、第12空中機動旅団第12ヘリコプター隊・第1飛行隊のUH―60JA汎用ヘリコプターとCH―47JA大型輸送ヘリコプターもまた、他の航空機やヘリコプターに負けじとばかりに、機動力の高さを、そして第12空中機動旅団独自の、「意地」 を見せつけたのである。同じように、栃木県に帰る人々も、
「抽選の上、発表を以って」
 北宇都宮駐屯地の、第12空中機動旅団第12ヘリコプター隊・第1飛行隊のUH―60JA汎用ヘリコプターとCH―47JA大型輸送ヘリコプターに乗せてやれば良いのだが(クイズ番組でもあるまいし)。

 午後5時00分。
 日本国自衛隊や、米海兵隊などの、一部の航空機帰還した後で、もう一度、エプロンが開かれた。それでも、午後6時00分には、花火大会の為にエプロンが閉鎖になるのだから、わたしはその前に、ロッキード・マーチンC―5B・ギャラクシー軍用超大型長距離輸送機をバックにして、最後の記念写真を撮影したのである。

 最後に、米軍横田基地の花火大会も、見て行こうかと思ったのであるが、さすがに歩き疲れたものだし、多くのブースのディナーも、売り切れてしまっていたものだから、わたしは米軍横田基地の『日米親善友好祭』から離脱する事に決定した。昨日と同じように、牽引車を改造した「トレインライド」100)に乗って、第5ゲートに向かったのである
 1日中歩きづめで疲れた人は、100を払って、「トレインライド」を利用して、第5ゲートに向かっていたのである。歩き疲れた人は、みんな同じ事を考えて、「トレインライド」を利用するのか。

 わたしは「トレインライド」に乗って、第5ゲートの付近に到着してから「トレインライド」を降りると、自転車駐輪場に向かって行った。そして、ゲートの哨舎の前を通る時に、米軍制式自動小銃・コルトM―16A2のバリエーション、M―4A1カービン銃をスリング(吊り革)で肩から掛けて、腰にM―9自動拳銃を提げて、哨舎の前に立っていた空軍憲兵隊に、敬礼した。
 それから、自転車駐輪場に行って、朝の入場の時から、そこに止めておいた愛用の自転車に乗ってから、国道16号線から五日市街道を経由して、帰宅したのである。 しかしながら、わたし自身の本音としては、前述 の、陸上自衛隊立川駐屯地・東部方面航空隊の富士ベルUH―1J・イロコイス汎用ヘリコプターに、わたし自身と愛用の自転車を搭載して、帰還するついでに送って行って欲しかった

 足の皮が破れてしまうのでは と思ったほどに、歩いたり 、走ったりして、時としては疲れたりもしたが、結論としては、とても楽しい2日間であった
 機会があれば、また米軍横田基地の『日米親善友好祭』に行きたい ものである

米軍横田基地・『日米親善友好祭』 8月22日

 皆様、今晩は

 わたしは、今日(22日)と明日(23日)の2日間にわたって、米軍横田基地で開催される、『日米親善友好祭』に出掛けていたのである
 今日は、その第1日目なのである

 わたしは、午前6時00分に家を出発して、陸上自衛隊立川駐屯地を経由して、五日市街道を西進 してから、午前6時50分頃に、米軍横田基地に到着したのである。『日米親善友好祭』の会場への入口となる、第5ゲートに、最初に自転車で到着したのはわたしであるが、『日米親善友好祭』が開始されるのは、午前9時00分の開門と同時なのである。それまで、余裕があり過ぎるので、わたしはあらかじめ用意していたCDを聴きながら 、待ち続けて いた

 そして、第5ゲートの、開門の瞬間が来た
 例年は、午前9時00分丁度に、第5ゲートが開門するのであるが、今年は開門が5分ほど早められた。それもその筈であり、国道16号線の交差点には、あまりにも大勢の人々が集まり過ぎていたのである。様々なファッションの人々がいた。飛行機大好き人間の多くは、沖縄県の嘉手納基地から、はるばる飛来したロッキード・マーチンF―22・ラプター戦闘機を見に来た人々なのであろう
 人々は、横断歩道からはみ出さんばかりに溢れかえっていて、福生警察署と第9機動隊の警察官が交通規制にあたっていた。M―9自動拳銃や無線機などを腰に提げた、日本人警備員の誘導によって、わたし達は米軍横田基地の中に入って行った。わたしの愛用の自転車は、駐輪場に置いた。

 第5ゲートに設けられた、「関所」で、M―9自動拳銃や無線機などを腰に提げた、空軍憲兵隊による手荷物検査が行われてから、一斉にわたし達は米軍横田基地の中を走り出したのである。勿論、お目当ては、例のF―22・ラプター戦闘機×2機なのである
 わたしは、様々な模擬店がずらりと立ち並ぶ、メイン会場を通り抜けて、航空機展示場であるエプロン(駐機場)に向かって、息が切れるまで走って行った

 そしてわたしは、米軍横田基地のエプロンにずらりと展示された、日米両軍の様々な航空機を見て行った。また後で、もう一度ゆっくりと見られる であろう、そう思いながら

 前日に到着したF―22・ラプター戦闘機×2機は、エプロンの一番北側に展示されていた。大勢の人々が、砂糖の山に群がり集う蟻 の大群のように取り囲んで、格好の被写体になっていたのである
 その隣には、やはり嘉手納基地から飛来した第18航空団・第961空中指揮管制飛行隊のボーイングE―3・セントリー早期警戒管制機が、大型の回転式のレーダードームを背負った、或る意味でユーモラスな姿を横たえて、展示されていたのである。しかしながら、この3機の周辺一帯には、米軍制式自動小銃・コルトM―16A2のバリエーション、M―4A1カービン銃をスリング(吊り革)で肩に掛けて、腰にはM―9自動拳銃を提げた空軍憲兵隊が、油断無く、警戒の目 を光らせながら、警備に就いていた。おそらくは、軍用犬 も付近にいたのだろう。3機への侵入者を阻む
『警告・立入制限区域・致死的武力の行使が許可されている』
 という警告が書かれた看板もまた、展示・公開されている他の航空機とは違う、異質な空気を感じさせる
 わたしが、個人的に欲を言えば、航空自衛隊浜松基地の警戒航空隊・飛行警戒管制隊のE―767早期警戒管制機との共演も、見たかったのである。これは、約4年前の西暦2005年(平成17年)に、一度実現したのであるが、後にも先にも、その一度だけなのである。

 戦闘機の系列としては、航空自衛隊の方からは、
茨城県百里基地の第7航空団・第302飛行隊のF―4EJ改・ファントム戦闘機
同じく第501飛行隊のRF―4E・ファントム偵察機
岐阜県岐阜基地の飛行開発実験団・飛行実験群のXF―2B戦闘機
 以上の3機種が展示されたのである
 しかしながら、今年は生憎、茨城県百里基地の第7航空団・第305飛行隊から参加する筈であった、航空自衛隊のF―15J/DJ・イーグル戦闘機は、飛来しなかったのである。それが、わたし自身にとっては、少し残念である。

 嘉手納基地から飛来した、第18航空団の戦闘機は、前述 の超最新鋭 のF―22・ラプター戦闘機×2機だけではなく、古参の第67戦闘飛行隊のF―15C・イーグル戦闘機×2機も展示されたのである
 しかしながら、今年は生憎、僚友である、第44戦闘飛行隊のF―15C/D・イーグル戦闘機の参加は、無しであった。
 青森県三沢基地の第35戦闘航空団・第14戦闘飛行隊から参加した、F―16C戦闘機×2機も飛来して、展示されたのである

 大韓民国の在韓米軍からも、烏山基地から、
第51戦闘航空団・第25戦闘飛行隊のA―10・サンダーボルト地上攻撃機×2機
同じく第36戦闘飛行隊のF―16C戦闘機×4機
群山基地の、第8戦闘航空団・第80戦闘飛行隊のF―16C戦闘機×2機
 以上の2機種×8機が飛来して、展示されたのである
 烏山基地の、第51戦闘航空団・第25戦闘飛行隊から参加した、A―10・サンダーボルト地上攻撃機×2機は、主翼の下面に装備される筈の武装は、通常爆弾の1発も搭載していなかったのである。武装の無い、クリーンな状態であると、少し物足りない。とても良い機会なのだから、主翼の下面が見えなくなるほどに、完全武装した状態で飛来すると良いのだが

 F―22・ラプター戦闘機×2機と、E―3・セントリー早期警戒管制機の丁度反対側、航空機展示場となるエプロンの一番北西側には、西側諸国の航空機としては、まさに文句無しに世界最大級と言える、F―22・ラプター戦闘機と同じメーカーである、ロッキード・マーチンC―5B・ギャラクシー軍用超大型長距離輸送機が、まるでマッコウクジラ のような巨体を横たえて、展示されていた。垂直尾翼の帯のマークから、カリフォルニア州トラビス空軍基地の機体と分かった。

 わたしは、C―5B・ギャラクシー軍用大型長距離輸送機に向かって、全速力で走って行った。コクピット(操縦室)の操縦席に座るのが、目的であり、夢だったのである
 昔から、米軍横田基地で開催される、『日米親善友好祭』で、C―5A/B・ギャラクシー軍用大型長距離輸送機が展示・公開されるのなら、わたしはそのコクピットに登って、操縦席や、その後部の休憩室 にある幾つかの座席などに、座りたくなるのである
 わたしは、C―5A/B・ギャラクシー軍用超大型長距離輸送機の貨物室上部 の操縦席や、その後部の休憩室 の座席を、『スターの座』と、呼んでいる。

 少しばかり、話題は逸れてしまうのであるが、わたし自身が何故、C―5A/B・ギャラクシー軍用超大型長距離輸送機の貨物室上部 の操縦席や、その後部の休憩室 にある幾つかの座席を、『スターの座』と、呼んでいるのかと言えば、芸能界では無名の新人俳優 が、TVや映画で、様々な端役や脇役役を演じながら、次第に頭角を現わして行って、ついには「スター」に登りつめる 事と、似たようなものなのである。これは極論であろうか

 閑話休題
 何はともあれ、C―5A/B・ギャラクシー軍用超大型長距離輸送機の、貨物室上部 まで登って 、そのコクピットの操縦席や、その後部の休憩室 の座席に座ったり、その雄姿を撮影したりする為には、わたし達のような、一般の入場者としても、コクピットの操縦席―機長は左側、副機長は右側―に座りたい為に、残暑の中を順序良く並んで、胴体前部左側から出る階段を経て、また機内前部左側の2階分の、高い階段を登る という苦労があるし、本物の軍人が、新入生 の二等兵から将軍(大将・中将・少将・准将の階級章が、星章なのである)に昇進 するにも苦労がある。それに耐え抜いた者が、この『スターの座』に座る権利を有する、と言ったら、大袈裟であろうか
 わたしは早いうちに行列に並んでいて、前述 の通り、胴体前部左側から出る階段を経て、また機内前部左側の2階分の高い階段を登って 、コクピットに入ってから、操縦席に座っての撮影の後、わたしはゆったりとした気持ちで、その後部の休憩室 の椅子に座って、くつろいでいたのである。また、休憩室 のさらに後ろには、クーラーが良く効く一室もあるのだが、そちらは今回、入れなかったのである。
 わたしは、今回展示された、C―5B・ギャラクシー軍用超大型長距離輸送機の貨物室上部 から、タラップで降りる時にも、爽やかなそよ風に吹かれたり、深呼吸をしたりするなどしてから、十分に余裕を持ちながら、降りて来た

 米軍の輸送機としては、このC―5B・ギャラクシー軍用超大型長距離輸送機の他にも、
地元の第36空輸飛行隊のC―130H・ハーキュリーズ大型輸送機
前述 のE―3・セントリー早期警戒管制機と同様に、嘉手納基地から飛来した第18航空団・第909空中給油飛行隊のボーイングKC―135・ストラトタンカー大型輸送機
マクダネルダグラス(後年、ボーイングに吸収合併された)C―17・グローブマスター?大型輸送機
 以上の3機種が、各1機ずつ展示されていた。わたしは、C―130H・ハーキュリーズは見慣れているし、他の2機には、あまり関心が無いので、寄り付かなかったのだが
 そして、嘉手納基地から飛来した第353特殊作戦航空群・第1特殊作戦飛行隊のMC―130H・コンバットタロン特殊作戦用機も、展示されていたのである

 また、航空自衛隊小牧基地のC―130H・ハーキュリーズも、展示されていたのである。機体そのものは米軍と同仕様なのであるが、今回展示されたのは、イラクへPKO任務に派遣された水色の塗装の機体であり、川崎重工で定期点検を受けたその後に、以前と同じ迷彩塗装に戻されると聞いた
 その垂直尾翼に描かれている第401飛行隊の部隊マークも、以前は小牧基地がある愛知県名古屋市・名古屋城の「鯱」を、モチーフにしたものであったが、部隊改編の折に変更されて、現在の第401飛行隊の部隊マーク(ペガサス)になった。しかしながら、遠目で見ると、そのデザインから、「蚤」(ノミ)だの「飛蝗」(バッタ)だのと、もう散々 な言われようなのである。幾ら何でも、蚤は無いだろう、蚤は
「大先輩」である、カーチスC―46D・コマンド輸送機「天馬」(ペガサス)を制式採用していた時代に制定された「ペガサス」のマークの方が、もっともらしく見えるとわたしは思う。これはどうでも良い事なのであるが、輸送機の飛行隊には、本当に馬 のマークが多い
「物流」や、「輸送」の手段が、荷馬車 から輸送機に進歩してもなお、その伝統は変わらないという事なのであろうか

 この他にも、入間基地の航空総隊司令部飛行隊のT―4練習機―今回は同飛行隊のガルフストリームU―4の参加は、無し―、百里基地の百里救難隊のU―125A捜索救難機もあった。
 因みに、U―125A捜索救難機の原型となるレイセオン・ホーカー800は、元々はイギリスの、BAe(ブリティッシュ・エアロ・スペース)社で生産されていたBAe125―800であったが、米国のレイセオン社がBAe社より、ビジネス機事業部を買収して生産している。しかしながら、わたしは強硬に、
「U―125A捜索救難機は、あくまでもイギリス製
 と主張している。頑固者だと思われても、結構である

 海上自衛隊では、厚木航空基地から飛来した第3航空隊のP―3C・オライオン対潜哨戒機、同じく第61航空隊のLC―90連絡機が飛来して、展示されていた

 日米両軍のヘリコプターの展示では、わたしの理想の一部も実現していたので、それが嬉しかった。それは、シコルスキーH―60・ブラックホークのラインナップなのである
 全ての基本()となる、
陸軍座間キャンプ・第78航空大隊のUH―60A汎用ヘリコプター
航空自衛隊百里基地・航空救難団百里救難隊のUH―60J捜索救難ヘリコプター(コンバットレスキュー対応型)
陸上自衛隊北宇都宮駐屯地・第12旅団第12ヘリコプター隊のUH―60JA汎用ヘリコプター
海上自衛隊館山航空基地のSH―60K哨戒ヘリコプター
 以上の4機種が展示されていたのである
 それこそ、この4機種に加えて
米海軍厚木基地の第51軽対潜ヘリコプター飛行隊(浮世絵のマークが特徴)のSH―60B・シーホーク
米海軍厚木基地の第14対潜ヘリコプター飛行隊のSH―60F・オーシャンホークと、HH―60H・レスキューホーク
嘉手納基地の第18航空団・第33航空救難飛行隊のHH―60G・ペイブホーク
海上自衛隊館山航空基地の第73航空隊のUH―60J救難ヘリコプター
 以上の5機種も参加しての、「日米の鷹」、シコルスキーH―60・ブラックホークの競演も実現して貰えれば、わたしも嬉しいのである。いつか、この「夢の共演」が、実現する事をわたしは願って いる。

 以前にも書いた事なのであるが、昨年12月13日 に公開された、映画『空へ ―救いの翼―』では、クライマックスで、主人公の川島遥風三等空尉(演:高山侑子氏)が操縦する、航空自衛隊のUH―60J捜索救難ヘリコプターと、海上自衛隊護衛艦「はるさめ」搭載の、SH―60K哨戒ヘリコプターが併進するシーンがあって、それが印象的であった。

 百里基地・百里救難隊のUH―60J捜索救難ヘリコプターの前にはブースが出ていて、パイロット用の航空ヘルメットや救命ベストが展示されていたのである

 わたしはその救命ベストを一目見て、『ニルスの不思議な旅』のニルス(勿論、等身大) にも、その救命ベストを、フル装備の状態で着装させてやりたいと、「本気」で思ったのである。何しろ、飲料水、信号灯 、発炎筒、非常食糧などのサバイバル・キットが、その救命ベストに全部入っているのだから、救命ベストが役に立つのは、確実であろう
『ニルスの不思議な旅』のニルスに、航空自衛隊の救命ベストをフル装備の状態で着装させるというのであれば、TVシリーズと劇場版の両方のアニメーションにマッチさせる意味で、西暦1990年代前半まで、航空自衛隊のフライトスーツとしては標準的なものだった、オレンジ色のものにする方が、良いだろう。それも、「おろしたての新品」 のもので
 そして、百里救難隊の隊員達の前で、映画『空へ ―救いの翼―』を見た事を前置きした上で、『空へ ―救いの翼―』のコレクターズ・エディションDVDを見せつけると、百里救難隊の隊員達は大喜びして下さった

 わたしは昼食の時間帯になると、「ステーキセット」を買う為、或るブースで並んでいたのであるが、晩夏の太陽の照り返しはとてもきつかった。漸く「ステーキセット」が完成した時には、嬉しかった。因みに、この「ステーキセット」は、ステーキとフライドポテトと飲み物 をセットにしたものである。飲み物 は、個人の自由で、チョイス出来るようになっているのである

 この他にも、ペパロニを配した程度の、「シンプル・イズ・ベスト」なペパロニ・ピザ を売っている模擬店があるかと思えば、ステーキやライス やコーンをセットにした、豪華絢爛なディナーを売っている模擬店もあった
 そしてまた、自家製のケーキ(主に、チョコレートケーキが多い)を販売している模擬店もあった。これが目的で毎年、この『日米親善友好祭』で来ている 人が多いのも、事実である。
 エプロンの一角には「ホットリンクス」という、パンに太いソーセージを挟んだだけの、実にシンプルなホッドドッグを売っている模擬店もあった。この「ホットリンクス」もまた、個人の自由でケチャップやマスタードをかけられるのである。これを食べられる事も、年に一度の贅沢であると言えるであろう

 残暑も厳しかった為なのであろうか、ビール もさる事ながら、コーラ や水が、飛ぶように売れていたのも、当然の成り行きと言えた事であろう。昨年の『日米親善友好祭』が、まる2日間も雨に降られてしまって 、コーラ や水の売れ行きが、伸び悩んだ のに比べると、まさに対照的なのである

 そうした中で、午後になって、思いもよらない航空機が、米軍横田基地のランウェイ18に着陸して来たのである。それは、C―32Aという航空機なのであった
 このC―32Aは、あの有名な『エアフォース・1』と同じ、第89軍事空輸航空団という、VIP輸送専門の航空団に所属している航空機なのであるが、米国の国務長官や国防長官などの高官が乗るこのC―32Aは、給油の為に米軍横田基地に立ち寄った、というお話らしい。しかしながら、これはわたしにとっても、素晴らしい「サプライズ」であり、「ハプニング」 でもあった
 C―32Aは、2時間ほどで給油を完了すると、大勢の来場者に見送られながら、南に向かって、米軍横田基地のランウェイ18を離陸して行ったのである。
 いずれ発売される航空雑誌 にも、今日と明日の事は掲載されるので、その記事を見れば、理由は分かるだろう

 また、沖縄県の米陸軍鳥居通信基地の第1特殊部隊第1大隊による、パラシュート降下のデモンストレーションも、行なわれたのである。第36輸送飛行隊のC―130H・ハーキュリーズ大型輸送機×3機  のうち2機(一番先頭の1機は先導役)から、1機につき6名、計12名の特殊部隊隊員が、次々に降下して、晩夏の空に緑色の花を咲かせたのである。こちらは、一般的なスタティックライン・ジャンプ(自動索開傘式のパラシュートによる空挺降下)なのであるが、その高度は500m~600mだと思う
 わたしが、西暦2003年(平成15年)3月5日 に、『ニルスの不思議な旅』劇場版のDVDを購入した当時も、丁度この時のような気持ちだったのである

 7月29日、航空自衛隊府中基地で、『納涼盆踊り大会』が開催された時に、わたしと府中基地司令と米軍横田基地司令官の3人で、記念写真を撮影させて頂いたのであるが、その記念写真(日付入り)を、米軍横田基地司令官御本人に漸く手渡す事が出来たのである。米軍横田基地司令官は、『納涼盆踊り大会』の記念写真(日付入り)を手渡されて、大いに喜んで下さった のである

 その一方で、同じ『納涼盆踊り大会』が開催された時に、わたしと航空総隊司令官と現在の合衆国大統領のバラク・オバマ氏と同じように、黒人の在日米軍/第5空軍司令官(中将)と共に撮影させて頂いた記念写真もあったのだが、在日米軍/第5空軍司令官にお会い出来なくて、残念である

 わたしは或る模擬店に立ち寄って、航空自衛隊小松基地の小松救難隊の、フルカラーのパッチを、購入したのである。小松救難隊のパッチは、石川県の伝統工芸である「加賀百万石」の獅子舞をモチーフにしたものになっている。そして、新潟救難隊のパッチも欲しかったのであるが、生憎、そちらは無かった。新潟救難隊のパッチは、県鳥の朱鷺と県木の雪椿がモチーフである。とても分かり易い

 わたしが、各救難隊のパッチを購入したその理由は勿論、昨年公開された、映画『空へ ―救いの翼―』に大いなる影響を受けたからで、また主人公の川島遥風三等空尉を熱演された、女優の高山侑子氏に刺激された事に、他ならないのである
 実際の航空自衛隊の各救難隊で制式採用されているパッチの多くは、色のトーンを落としたサブデュードのものになっているのであるが、わたしはフルカラーのものが、好きである。

 そしてわたしは、午後6時00分に、米軍横田基地の『日米親善友好祭』から、一度離脱する事に決定した。何しろ、1日中歩きづめで疲れていたもので、牽引車を改造した「トレインライド」(片道100)に乗った。この「トレインライド」には、客車に相当する車輛が、4~5台牽引されていたのである。
 わたしと同じように、1日中歩きづめで疲れた人は、100を払って、「トレインライド」を利用して、第5ゲートに向かっていたのである。疲れている人はみんな同じ事を考えて、「トレインライド」を利用するのか。

 わたしは「トレインライド」に乗って、第5ゲートの付近に到着してから「トレインライド」を降りると、自転車駐輪場に向かって行った。そして、ゲートの哨舎の前を通る時に、米軍制式自動小銃・コルトM―16A2のバリエーション、M―4A1カービン銃をスリング(吊り革)で肩に掛けて、腰にはM―9自動拳銃を提げて、哨舎の前に立っていた空軍憲兵隊に、一言だけ言った
「I LL BE BACK」(また、来る)

 それから、自転車駐輪場に行って、朝の入場の時から、そこに止めておいた、愛用の自転車に乗ってから、国道16号線と五日市街道を経由して、帰宅したのである。
 明日もまた、わたしは米軍横田基地の『日米親善友好祭』に行こう
「ステーキセット」もさる事ながら、パンにビーフと正方形のチーズを乗せたチーズバーガーが、美味であった

 わたしが帰宅した時、航空自衛隊府中基地司令より、一通の封書が、わたし宛てに届いていたのである。それを、開封してみると、前述 した、『納涼盆踊り大会』で、わたしと府中基地司令と米軍横田基地司令官の3人で撮影させて頂いた記念写真(日付入り)を、封書でお送りした事の、返礼の礼状なのであった

世界最強の猛禽、F―22・ラプター戦闘機は舞い降りた!

 皆様、今晩は

 わたしは今日、米軍横田基地に、明日(22日)と明後日(23日)の2日間にわたって開催される、『日米親善友好祭』の『事前調査』の為に、朝早くから米軍横田基地に、自転車で出掛けていたのである

 わたしは、今日の午前中、携帯電話で通話をしている人が、
『沖縄県の嘉手納基地から、最新鋭 の戦闘機である、ロッキード・マーチンF―22・ラプター戦闘機×2機が、米軍横田基地に向けて離陸した。2~3時間後には、そちらに到着するだろう』
 というお話を受けているのを、聞いていたのである
 その瞬間までは、わたし自身も半信半疑×なのであったが、午後1時00分近くになったその瞬間、『独特の形状』をした、最新鋭 のロッキード・マーチンF―22・ラプター戦闘機×2機が舞い降りて来たのを、わたしは見たのである
「来たぞ 来たぞ ロッキード・マーチンF―22・ラプターだ
「やったー 最新鋭 のF―22・ラプター戦闘機が、ついに米軍横田基地に現れた
「待っていました
 そこで、待ちかねていたように、各々のデジタルカメラのシャッターを切りながら、撮影している人々が多かったのは、言うまでもない事であろう
 F―22・ラプター戦闘機×2機はこの後、何度も急角度の「捻り込み」をやって、最新鋭機ならではの「高機動性」を、アピールしたのである

 夕方5時00分までに、航空自衛隊からは、茨城県百里基地から、
第7航空団・第302飛行隊のF―4EJ改・ファントム戦闘機
航空総隊直轄の第501飛行隊のRF―4E・ファントム偵察機
航空救難団・百里救難隊のUH―60J高性能捜索救難ヘリコプター
同じくU―125A捜索救難機
 の4機が飛来した。この他にも、
岐阜県岐阜基地の飛行開発実験団のXF―2B戦闘機
埼玉県入間基地の航空総隊司令部飛行隊のT―4練習機
同じく第402飛行隊のC―1輸送機
 以上の3機種が、飛来した。
 F―15J/DJ・イーグル戦闘機と航空総隊司令部飛行隊のU―4輸送機は、わたしが午後5時00分に、米軍横田基地から離脱するまで、見る事は無かった。今回は、お休みなのだろうか

 陸上自衛隊からは、
富士ベルUH―1J・イロコイス汎用ヘリコプター
OH―6D・カイユース連絡/観測ヘリコプター
CH―47JA・チヌーク大型輸送ヘリコプター
UH―60JA・ブラックホーク汎用ヘリコプター 
 この4機種が、各1機ずつ飛来した。最初の富士ベルUH―1J・イロコイスとOH―6D・カイユースは、近隣の立川駐屯地から飛来した。
 しかしながら、CH―47JA大型輸送ヘリコプターは千葉県木更津駐屯地の第1ヘリコプター団(防衛大臣直轄部隊)や群馬県相馬原駐屯地の第12空中機動旅団にも配備されているので、何処の部隊の所属かは確認出来なかった。それでも、明日(22日)と明後日(23日)の2日間にわたって開催される、『日米親善友好祭』に行けば、所属部隊の記号を見て、すぐに分かる事である

 海上自衛隊からは、
厚木航空基地の第3航空隊のP―3C・オライオン哨戒機
同じく第61航空隊のLC―90連絡輸送機
館山航空基地のSH―60K・シーホーク哨戒ヘリコプター
 以上の3機種が、各1機ずつ参加した。

 沖縄県の米空軍嘉手納基地の第18航空団からは、
第44/第67戦闘飛行隊のF―15C/D・イーグル戦闘機
第961空中指揮管制飛行隊のE―3・セントリー早期警戒管制機
第909空中給油飛行隊のKC―135・ストラトタンカー空中給油輸送機
 が飛来した。KC―135空中給油輸送機は、先着のF―22・ラプター戦闘機に空中給油を行ないながら、飛来したのであろう。この他にも、嘉手納基地からは、特殊作戦用機のMC―130H・コンバットタロンも飛来した。
 
 日本海を挟んだ、隣国の大韓民国の在韓米軍からも、
烏山基地第51戦闘航空団のF―16C戦闘機×4機
群山基地第8戦闘航空団のF―16C戦闘機×2機
 が飛来した。特に、烏山基地第51戦闘航空団のF―16C戦闘機は、4機編隊で飛来して、オーバーヘッド・アプローチをしてみせた。それにしても、在韓米軍は、何とサービスが良いのだろう

 わたしは、一寸した個人的な歴史もあるのだから、在韓米軍の群山基地(狼のマーク)のF―16C戦闘機が、お気に入りなのである。
 以前、西暦1990年代に『日米親善友好祭』が開催された時、群山基地第8戦闘航空団のF―16C戦闘機の上に登って(フィルム式のカメラで)記念写真を撮影したその翌年に、記念写真をパイロットに渡すと、何と、売り物の部隊パッチを無料でくれたのである。
 その部隊パッチは、今も大事にしまってある。

 わたしは、午後5時00分に、米軍横田基地から離脱すると、明日(22日)と明後日(23日)に備えて、十分英気を養っておく為に、帰宅したのである。

 そして、夕餉 の後でこうやって、「事前調査」の結果を纏めたのである
 明日(22日)と明後日(23日)の2日間にわたって開催される、『日米親善友好祭』には、先日買ったばかりの、新しいスニーカーを、履いて行く事に決めて、もう寝る 事にしよう

理髪店の散髪と、TVの刑事ドラマのロケーション撮影の見物と、新しい靴の購入と。

 皆様、今晩は

 わたしは、今日・8月19日、行きつけの理髪店に出掛けて、散髪をして来たのである。その理由は、22日(土曜日)/23日(日曜日)に、在日米軍および米国第5空軍の司令部がある、米軍横田基地で開催される、『日米親善友好祭』に出掛ける前に、散髪をしておこう と思ったからである
 しかしながら、近年は、米軍横田基地の『日米親善友好祭』は、8月下旬に開催される事が多いので、それに間に合わせているのである

 以前にも書いた事であるが、わたしが行きつけの理髪店に出掛けて、散髪をするのは、2ヶ月に一度の割合になるのである。わたしはもっぱら、「スポーツ刈り」にして、揉み上げを落として、前髪を短く切る事を注文しているのだが、これはわたしの、昔からの「習慣」である

 理髪店の開店時刻は、午前9時00分丁度であり、わたしは混雑を避ける為に、理髪店の開店と同時に入店する事が多い。わたしも含めた数人の客が、理髪店に入店して、散髪が始まった。
 いつもの事なのであるが、わたしの散髪は、開始してから、30分もかからないうちに終わったのである。理髪師の散髪の腕前は、見事である

 散髪をしたその後で、わたしは『府中の森公園』に寄ってみた。そこでは、テレビ朝日系列で放送されている、『相棒』というTVの刑事ドラマのロケーション撮影が、公園東側の有料駐車場や、公園南側の日本庭園の梅園 付近の東屋などで行われていたのである。主役の水谷豊氏を零距離(絶対至近距離) で見られたので、吃驚仰天()した。感激 もした。
 眼鏡を掛けて、ライトグレーのスーツに身を固めた水谷豊氏の姿は、ナイスミドルそのものである。デジタルカメラを携行して行くべきだったかな
 何故なのであろうか、見物人の中には、主婦層の人が多かったのである

 有料駐車場の撮影では、パトカー(日産セドリック、日産クルー)、覆面パトカー(スカイライン)、機動隊バスなどがいて、画面ではそれらしく見えるのだろうが、間近で見ると、架空のナンバープレートは、随分とみすぼらしく見えたのである。それだけではなく、パトカーの1台・日産クルーの赤色燈の方は、前部の集光式点滅燈(ラジエーターグリルに装着)は点燈しているのに、配線が悪いのであろうか、肝心のルーフの散光式回転燈は点燈せず、スタッフが何度も散光式回転燈を点検しているのが、おかしく見えた
 有料駐車場での撮影が無事に終了すると、2台のパトカー(日産セドリック、日産クルー)は、前部の集光式点滅燈とルーフの散光式回転燈の両方にカバー(タオルであった)が掛けられて、ラジエーターグリルに装着された旭日章を取り外されて、前後のドアに貼られた「警視庁」の文字ステッカーをはがされて、ナンバープレートもきちんと本物に付け替えられたのである

 わたしは、帰路に『マインズショップ』というJA(全農)関係の経済店舗で、醤油を数本買い、さらに近所の大手の靴屋に立ち寄って、新しいスニーカーを買ったのである
 新しい靴を買う時にも、様々なお話 や思い出が、わたしの脳裏をよぎるのである

 わたしは今より3年前に、新しいスニーカーを買った際に、秋葉原の大手電気店で開催された女性声優・小山茉美氏のCDアルバム発売記念のトーク・ライブとサイン会 に、わたしの一番大好きなTVアニメーション『ニルスの不思議な旅』のニルスに似せた衣裳を着用して出掛けて行き 、そこで『ニルスの不思議な旅』の本放送以来、ずっと憧れていた小山茉美氏に、生まれて初めて出会えたのである
 その当時のわたしの服装は、アメリカ海軍の帽子とTシャツとジーンズ 、新しい靴というもので、Tシャツも明灰色のものであったが(ニルスの衣裳に似せた為)、わたし自身の名前に合わせて、アメリカの国鳥である、白頭鷲をシンボル・マークとする第195戦闘攻撃飛行隊『DAMBUSTERS』のものなのであった

 今日、わたしが帰路に近所の大手の靴屋に立ち寄って買った、新しい靴もまた、3年前に買ったスニーカー と同様、名門・ナイキ社のスニーカー なのであるが、あいにく24.5のサイズのものが在庫に無く、25.0のものに決定したのである。しかしながら、なにぶんにも高価なスニーカー であるが故に、大事に履き続けて行きたい
 今度は、もっと上級 なグレードのスニーカー も欲しくなりそうである

住民基本台帳ネットワークのカードを交付された。

 皆様、今晩は

 わたしは金曜日(14日)に、所用のついでに府中市役所に出掛けて 、その1階で『住民基本台帳ネットワーク』のカードを申請して、そのカードが今日、交付された。わたしが既に持っている、『国民健康保険証』と合わせて、わたしのID(身分証明)は完璧になるという訳なのである
 他にも、『住民基本台帳ネットワーク』のカードを申請、または交付されている人は多かった

 西暦2001年9月11日に、米国のニューヨークを始めとする数ヶ所で発生した『米国同時多発テロ』以来、日本国内の米軍基地で開催される米軍のイベントや航空ショーに際しては、米軍基地のゲートに、まるで江戸時代のような「関所」が設けられたのである。
 米軍のイベントや航空ショーに入場する前に、入場者はその多くが、米軍制式自動小銃・コルトM―16A2(口径5.56mm)、レミントンM―870・スライディングアクション・ショットガン(12番径)を肩掛けしたり、米軍制式自動拳銃・M―92を腰に下げて、軍用犬 を連れたMP(憲兵)によって、金属探知機をかけられて、荷物検査を受けてから、漸く通されるようになって来たのである。人によっては、IDカードのチェック まで受ける事がある。

 特に、今年の米軍横田基地の『日米親善友好祭』の宣伝ポスターには、
「16歳以上 の来場者は、国籍の分かる顔写真付き身分証明書を持参されたし」
 という条項が、明記されていたのである。
 これは、米軍横田基地ばかりではなく、その他の米軍基地に於いても同じ事である。

 わたし自身は昔から、毎年夏に開催されている、米軍横田基地の『日米親善友好祭』に出掛けて いるのであるが、全く世知辛い世の中になったものだ と思ったのである
 前述 のような事もあるものだから、それならばいっそ、という事で、わたしは『住民基本台帳ネットワーク』のカードを作成する事に決定したのである。勿論それは、「実名」で申請した事は言うまでもないのである。インターネット のハンドルネームでは、『住民基本台帳ネットワーク』のカードは、申請出来ない。だからこそ「実名」になる
 これで、わたしのID(身分証明)は完璧である。

『住民基本台帳ネットワーク』のカードには、沢山の個人情報も入っているのだから、紛失 しないように、十分に注意しながら、厳重に管理しよう

墜落事故の現場上空には、多くのヘリコプターが飛んで、その実力を証明したのである。

 皆様、今晩は

 今日・8月12日は、西暦1985年(昭和60年)同月同日午後6時56分、日本航空123便・東京 伊丹行のボーイング747SR―46、所謂「ジャンボジェット」が、群馬県多野郡上野村の御巣鷹の尾根に墜落した日なのである。以下、こちらでは『日航ジャンボ機墜落事故』と表記 する
 520人もの犠牲者 を出した、史上最悪と言われる、この『日航ジャンボ機墜落事故』については、様々な専門家 があらゆるメディアで取り上げたり、TVのドキュメンタリー番組などにもなったりしているものだから、詳細はパスさせて頂くけれども、こちらでは一線を画して、墜落事故に関係したヘリコプターの活躍について、書いてみよう

 事故発生から約2時間後、夜の闇に包まれた御巣鷹の尾根で、真っ赤な炎を上げて燃え上がっている、事故機の日本航空123便・ボーイング747SR―46は、航空自衛隊百里基地・航空救難団百里救難隊のV―107(バートル)救難ヘリコプターと、陸上自衛隊立川駐屯地・東部方面航空隊のUH―1Hヘリコプターによって、
「事故機を、発見。確認
 とされたのである。

 13日、夜明けと同時に、『日航ジャンボ機墜落事故』の事故現場でスタートした捜索救難活動 と、そのTV報道は殆どが、ヘリコプターによって、展開されたのである。
 陸上自衛隊習志野駐屯地の第1空挺団と、同相馬原駐屯地の第12師団(現在は第12空中機動旅団に改編)が、事故現場にリペリング(ロープ降下)や縄梯子で降下したのもヘリコプター(主に第1ヘリコプター団所属のV―107)であり、地元・群馬県警察のレンジャー部隊も警視庁航空隊のヘリコプター(富士ベル204B―2、V―107)で、事故現場に送り込まれた。
 余談ながらも書き加えておくと、警視庁航空隊の富士ベル204B―2ヘリコプターとは、ベルUH―1Bを元に民間型として開発されて、そのライセンス生産を行なった富士重工で、パワーアップされた機体である。陸上自衛隊に制式採用されて、方面航空隊や師団飛行隊に配備されている富士・ベルUH―1Jヘリコプターは、その後裔と言える

 閑話休題
 未だくすぶり続けている事故現場の中で、奇跡の生存者4名が発見されたのは、まさに劇的と言えた。
 事故現場の山の斜面にくっつくようなカタチで、陸上自衛隊のヘリコプター(前述 の第1ヘリコプター団所属V―107)のホバーリング(空中停止)で、奇跡の生存者4名が第1空挺団の空挺隊員に吊り上げられて 、病院へ急行する感動のシーンは、日本全国へテレビカメラでライブで映し出されて、感動の波紋を広げたのである。

 この時の取材方法は、ヘリコプターでテレビカメラや中継システム機材、カメラマンやアナウンサーを事故現場に送り込んで、事故現場の映像を、東京のステーションへマイクロウェーブで送信したのである。
 因みに、マイクロウェーブで電波を送信するには、事故現場が山岳地帯であるが故に、一度上空にいるヘリコプターに電波を送信してから、東京のステーションへと、2段送信したのである 丁度、人工衛星の送信システム のような役目を、ヘリコプターが果たしたという訳である。
 それと同じ頃、日本航空の高木養根社長(当時)を始めとする役員や社員も大挙して、群馬県の御巣鷹の事故現場に向かっていたのであるが、その交通手段としてバス、車輛、列車はもとより、ヘリコプターも動員されていた。

 それから暫くすると、『日航ジャンボ機墜落事故』の、犠牲者 の遺体搬出が開始されたのである。主に陸上自衛隊立川駐屯地・東部方面航空隊のUH―1Hヘリコプターが使用されて、自衛隊員が黙々と、毛布に包まれた犠牲者 の遺体を、ヘリコプターの機内に次々に載せて行った。御巣鷹の山麓の、上野村中学校の校庭に設けられた臨時へリポートからは、今度は民間ヘリコプターが納棺された遺体を載せて、羽田空港に飛んだ。

 自衛隊、警察、運輸省(現在の国土交通省)やその他の政府機関の責任者も続々と、上野村に到着した。しかしながら、事故現場の御巣鷹は深くて、道も険峻である。殆どの人がヘリコプターに乗っていかなければ、事故現場に到達出来なかった
 犠牲者の遺族もまた、山麓で不安と不満を募らせていた。とは言えど、御巣鷹まで徒歩 で登攀して行くのは、危険であった。現に途中の道路で上から落ちて来た石に当たって、亡くなってしまった人もいる。
 そこで、ヘリコプターをチャーターして飛ぼう と考えた人も、多い。しかしながら、その為に事故現場付近を飛行するヘリコプターの機数が増加しては、また新しい事故が発生してしまう可能性もある。そしてまた、費用もかかる。そこで日本航空は大型ヘリコプターを1機チャーターして、遺族団に提供して、空からの弔問飛行が、何度も行われた。

 最後は、事故機の残骸を搬出する作業である。事故原因究明の鍵ともいうべき、機体後部の与圧隔壁はもとより、炎上して黒焦げになった総量150トンの残骸が、大型民間ヘリコプターの何十回というピストン空輸によって、余す所なく運び出された。このヘリコプターは普段から、山岳地帯の建設資材輸送や木材搬出などをしていて、最大搭載容量は4.5トンと、日本最大で、優れた能力を持っていたのである(Mi―8PA)。
 そして最後には、中曽根康弘内閣総理大臣(当時)自らもヘリコプターに乗って事故現場に降り立つと同時に、『日航ジャンボ機墜落事故』の状況を視察 した。

 西暦1985年8月12日に発生した、『日航ジャンボ機墜落事故』はこのようにして、はからずもヘリコプターの威力と能力を、大勢の人々に、印象付ける事になった。「明日があるさ」や「上を向いて歩こう」などの歌手の坂本九さんや、元宝塚歌劇団娘役で女優の北原遥子さんや、ハウス食品社長の浦上郁夫さんなどが、犠牲 になってしまった、まことに悲しい出来事ではあったけれども、火災現場には消防車が急行 して、交通事故などには救急車が急行する事と同じように、大惨事や大災害の後始末にはヘリコプターが必要不可欠である事を証明したものと言えるであろう。

 それは、『阪神・淡路大震災』や、『新潟県中越地震』や、最近の台風9号による災害などで、警察や消防や自衛隊などの各種のヘリコプターが、被災者や傷病者を、医療機関に急送したり、被災地 に援助物資 をピストン空輸する為に飛び回っていた事などからも、容易に窺い知る事が出来る。
 ヘリコプターは、大惨事や大災害の時には「天の助け」となるのである

突然に揺れ出して、「ベックラこいて」、目が覚めて、「飛び起きた!!」

 皆様、今晩は

 わたしは今朝・5時07分過ぎに、静岡県で突然に発生() した、めちゃんこ強い地震の「揺れ」を、敏感に感じ取って、「ベックラこいて」()、目が覚めて() 、まさに「飛び起きて」しまったのである。勿論、すぐさまTVをつけると、地震発生の瞬間の映像が流れていた
 本当に出し抜けだったもので、「ベックラこいて」()「飛び起きて」しまったのも、至極当然であろう。

 その後の、気象庁 の公式発表によれば、静岡県の駿河湾を震源とする、今回の地震の規模はマグニチュード6.5、震源の深さは23kmと発表されたのだが、わたしの住んでいる、東京都府中市を含めた多摩東部の方では、マグニチュード4を記録した、と公式発表されたのである
 とは言えど、めちゃんこ強い地震であった

 東名高速道路は、所謂「日本の大動脈」とも言われているのだが、震源である駿河湾に近い、相良牧之原インターチェンジ付近の上り車線では、路面が100mにもわたって、大きく崩落)してしまったり、同じく菊川インターチェンジ付近では、大きな段差が出来てしまったりとなったものだから()、東名高速道路は復旧作業の為に、静岡袋井の間の車線が午前11時00分現在、上下線とも通行止めになってしまっている。東名高速道路の崩落現場の復旧作業にも、かなりのお金と時間が、かかりそうである
 静岡県庁がある静岡市では、駿府城の石垣が崩落)してしまったり、学校のグランドに罅が入ったり、商品が棚から崩落)してしまった商店までもあった。負傷者も出てしまったので、救急車で病院に運ばれて、手当てを受けた人もいたのであるが、それでも今回の地震で、死者が出なかった事だけは、不幸中の幸いである。1都3県で、負傷者は100人以上であると発表された

 早朝に発生した、突然の地震で、動揺するのは至極当然なのであるが 、地震はいつ、何処で発生するのかも、分からない
 それが、地震の恐ろしさ の1つとも言えるであろう
プロフィール

鷲尾ミサゴ龍輔

Author:鷲尾ミサゴ龍輔
アニメーション『ニルスの不思議な旅』&航空機関係作品&音楽鑑賞&航空機&日本国自衛隊の資料収集が大好きな、東京都民です。

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