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或る意味で、西暦1981年の春は『過渡期』といえた時期であった。

 西暦1981年(昭和56年)の春 は、或る意味で、『過渡期』といえた時期であっただろう

 女性声優・小山茉美氏は、前年1月8日から放送されていた、伝説の傑作TVアニメーション『ニルスの不思議な旅』が3月17日(火曜日)、大好評のうちに、本放送の最終回“さようなら アッカ”を迎えて、それを惜しむ間もなく、漫画家・鳥山明氏原作 の新作 のTVアニメーション『Dr.スランプ』が「スタート」するのを前にして、「役作り」 に励まれて いた事であろう

 4月8日(水曜日)より、CX系で本放送が開始されたTVアニメーション『Dr.スランプ』は、則巻アラレ(アラレちゃん)を熱演された女性声優・小山茉美氏を、さらに有名にしたばかりではなく、「んちゃ 」を始めとする、数多くの「アラレちゃん言葉」も大流行させたのである。現在に於いても、そのオープニング・テーマ「ワイワイワールド」が、或る自動車のCMで、替え歌として使用されているのも、面白い。『Dr.スランプ』は、あらゆる方面に影響を与えたといっても過言ではないだろう

 その一方で、日本の空と平和と安全を守る航空自衛隊では『ブルーインパルス』(当時の戦技研究班)が、当時の使用機であったF―86F・セイバー戦闘機が、旧式化して来た事や、(当時の)新機種 T―2ヘの機種転換訓練 などに、一定の準備期間を必要とする事などを理由にして、2月8日に埼玉県入間基地で、最終展示飛行を見事に実施した。これを最後にして、『ブルーインパルス』(戦技研究班)は一度解散して、大勢の飛行機大好き人間の前から、去って行ったのである
『ブルーインパルス』(戦技研究班)が、F―86F・セイバーからT―2に機種転換して、復活するまで、大勢の飛行機大好き人間は、「待つ」事になったのである

 その後、3月27日(金曜日)には、航空自衛隊の飛行機 の全てが、部隊に正式に納入される前に、必ずそこで評価試験をされる、航空自衛隊・飛行開発実験団がいる岐阜県各務原市の航空自衛隊岐阜基地に、F―15・イーグルという新世代 の戦闘機 が、颯爽と登場したのである。そしてこの瞬間、航空自衛隊はF―4・ファントム F―15・イーグルという、新世代 の第1歩 を、踏み出したのである

 これらの意味でも、西暦1981年(昭和56年)の春 は、或る意味で、『過渡期』といえた時期なのである
 そういう時代があったからこそ、わたし達はこうして生活出来るのであろう。
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わたしがこだわりを持っている帽子に関係する話題。

 今回は、趣向を少しばかり変更して、わたしがこだわりを持っている帽子に関係する話題を、書かせて頂く事にしよう

 わたしは以前、自分が住んでいる東京都府中市・府中防犯協会が「全国地域安全運動」の期間中に行なっている「地域安全運動」のパトロールに参加した事があった。わたしが参加した理由は、府中防犯協会の会員として「地域安全運動」に参加すれば、府中防犯協会の帽子(アポロキャップ)が貰える という話を、聞いたからであった

 しかしながら、府中防犯協会の会員としての任期が終了した後は、その帽子を、府中防犯協会に返上しなければならぬ と聞いて、がっかりしてしまったのである
  そういう大事な事は、もっと早く言ってくれ とは思ったが

 府中防犯協会の帽子(アポロキャップ)は、前庇(鍔)に付く桜花桜葉模様が、海上自衛隊の将官用・佐官用の礼帽と同じデザインなのである。会長・副会長の帽子の桜花桜葉模様は、将官用であり、一般会員の帽子の桜花桜葉模様は、佐官用のデザインである
 アポロキャップや、後述するスコードロンキャップも、前庇(鍔)に付く飾りが将官用のものになると、それを被っただけでも、偉くなるように思えるから実に不思議である

 わたしは、日本国自衛隊や、米軍の、航空ショーや駐屯地公開祭などに出掛ける時には、状況によって()、戦闘機部隊やヘリコプター部隊や戦車部隊、その他の部隊の識別帽(スコードロンキャップ)を購入する事もあるのだが、識別帽(スコードロンキャップ)も近年は、滅多に良いものが、手に入らないのである。アポロキャップやスコードロンキャップは、将官用の方が、前述の理由で、実に好ましいのである

 日本国自衛隊や、諸外国の軍隊で、三佐(少佐)以上の幹部(将校)用の、制帽や、礼帽や、識別帽(スコードロンキャップ)は、桜花桜葉や月桂樹などの模様が付くのであるが、陸上自衛隊や海上自衛隊の、三佐以上の幹部用の制帽や、礼帽や、識別帽の桜花桜葉模様は金モールであり、その色などから、「カレーライス」 や、「スクランブルエッグ」などという俗称で呼ばれている。一方、航空自衛隊では、三佐以上の幹部用の制帽や、礼帽や、識別帽の桜花桜葉模様は、銀モールになるのだから、わたし自身はこれを勝手に、「銀シャリ」と呼んでいる。航空自衛隊でも、同じ呼び方をしているのだろうか
 世界的に見ても、陸軍、海軍、空軍の全ての軍隊では、屋外にいる時には、必ず帽子を被っているように義務付けられている。軍隊に限らず、帽子は御洒落にも必要になる

 わたしの持っている帽子は、陸上自衛隊立川駐屯地・東部航空方面隊本部の佐官用識別帽、海上自衛隊厚木航空基地・第3航空隊の将官用識別帽、航空自衛隊松島基地・第4航空団第11飛行隊『ブルーインパルス』の佐官用識別帽(飛行隊長・飛行班長)、同三沢基地・同入間基地・同春日基地・同那覇基地の、4個ヘリコプター空輸隊共通の佐官用識別帽(飛行隊長・飛行班長)などがあるのだが、これらは未だに被っていない
 それなりに値段が高価だったので、勿体無くて被れないでいる。帽子とは、被ってナンボのものなのだが。

 冬期には、紺色のワッチキャップという防寒帽を被って、外出する事もあるのだが、ワッチキャップの場合、アポロキャップやスコードロンキャップなどに比較すると、「暖かさ」が、全然違う。ワッチキャップの名前は、嘗てアメリカ海軍で軍艦の航海中に、見張りに立つ時に使用されていた事から、この名が付いたのである
 ワッチキャップは現在、アメリカ海軍ばかりでなく、陸軍・空軍・海兵隊に於いても、防寒帽として立派に使用されていて、陸軍特殊作戦部隊「デルタ・フォース」や警察のスワット・チームでも使用されている。

 アメリカ陸軍には、ワッチキャップに似たもので、ジープキャップと呼ばれる防寒帽もある。これは第2次世界大戦中から使用されていて、ヘルメットの下に被る防寒帽である。小さな前庇(鍔)が付いているのが、ジープキャップの特徴である。こちらもワッチキャップと同様に、特に意味はなく、ジープに乗ったアメリカ兵がニットキャップを被っている事から、この名が付いたのである

 冷戦時代、ワルシャワ条約機構軍(主に旧ソ連軍)の影響を受けた旧東側諸国の軍隊では、独特な防寒帽が使用されていた。防寒性が抜群なその帽子を、わたしは「コサック・キャップ」と呼んでいるのであるが、その「コサック・キャップ」の黒いものと、日本国海上自衛隊の真黒な第1種外套(ロングコート)があれば、防寒性はまさに完璧であろう
 それを使用して、TVシリーズと映画の両方でアニメーションとなった、『銀河鉄道999』のメーテルになりきって、コスプレをした人がいようものなら、わたしはその人に、素直に拍手を送りたい

 鍔が長くて広い、「フロッピー」と呼ばれるカウボーイハットや、アメリカ4軍で制式採用されている、戦闘服とマッチさせたブーニーハットなどの帽子もあるのだが、わたしの好みの帽子は、主に戦闘機部隊や、ヘリコプター部隊や、戦車部隊の、将官用・佐官用の、識別帽(スコードロンキャップ)なのである

マクダネルダグラス(現:ボーイング)F―15J・イーグル戦闘機がやって来た!

 皆様、今晩は

 飛行機大好き人間 である方は、どなたも御存知であると思うのだが、今日・3月27日は、日本の航空史 に残る重要な日である と断定出来る。
 西暦1981年(昭和56年)3月27日(金曜日)は、その当時、航空自衛隊初にして、まさしく超最新鋭 の戦闘機である、マクダネルダグラス(その後、ボーイングに吸収合併された)F―15J・イーグル戦闘機×2機が、岐阜県各務原市・航空自衛隊岐阜基地に、
「F―15J・イーグル戦闘機、颯爽登場
 となった日なのである
 
 西暦1980年(昭和55年)6月4日。航空自衛隊初のF―15J・イーグル戦闘機の1号機(02―8801号機) は、マクダネルダグラス・セントルイス工場で初飛行を行なって、7月15日に訪米中の航空自衛隊技術審査団に引き渡されたのである。7月29日に2号機(02―8802号機) も、航空自衛隊技術審査団に引き渡されたのである。10月 、航空自衛隊初のF―15J・イーグル戦闘機×2機はカリフォルニア州エドワーズ空軍基地で、約29回の飛行審査 を受ける為に使用されていた
 しかしながら、この時点ではまだ、日本のマークは、F―15J・イーグル戦闘機×2機の機体に、描かれていなかったのである

 F―15J・イーグル戦闘機×2機は、その後一旦米空軍に返還されてから、日本への空輸 が委託されたのである。2月24日 に、米空軍パイロットの操縦で、マクダネルダグラス・セントルイス工場を出発した2機は、太平洋を横断して、ハワイのヒッカム空軍基地、グアム島のアンダーセン空軍基地を経由して、3月1日、沖縄県の嘉手納基地に到着したのである。飛行に当たった米空軍パイロットにとっては、楽なフェリー・フライトであった。嘉手納基地に到着したF―15J・イーグル戦闘機×2機は、ここで米国での航空自衛隊のパイロット要員訓練が修了 して、さらに航空自衛隊への正式な引き渡しを前にして、米国の国籍マークと機体番号を消去されて 、日本の国籍マークと機体番号に塗り替えられて、待機していたのである

 そして、西暦1981年(昭和56年)3月27日 。岐阜県各務原市・航空自衛隊岐阜基地。
 午後2時、航空自衛隊初のF―15J・イーグル戦闘機×2機(02―8801号機、02―8802号機)は、米空軍第405戦術訓練航空団の教官パイロットの操縦で、まさしく、
「F―15J・イーグル戦闘機、颯爽登場
 となったのである

 航空自衛隊岐阜基地上空を通過したF―15J・イーグル戦闘機×2機は、滑走路を通過、左に編隊を解いた2機は、もう一度滑走路に進入すると、背中のスピードブレーキを立てて、なめらかに航空自衛隊岐阜基地に着陸したのであった。先輩格であるF―4ファントムを聞き慣れた者にとっては、静かな到着であった。

 航空自衛隊岐阜基地の自衛官が整列して出迎える中を、受領式典会場に向けて、F―15J・イーグル戦闘機×2機 は進んで 来た。濃淡のグレイ2色の低視認性塗装(ロービジビリティー)、小さな日の丸、航空自衛隊の伝統である、機首の機体番号無記名(新機種 導入の際には、いつもしばらく記入されない)。それは如何にも、新世代 のジェット戦闘機の到来を実感させたのである
 こうして、航空自衛隊はF―4・ファントム F―15・イーグルという、新世代 の第1歩 を踏み出した。そしてまた、これと同時に、愛知県名古屋市の名古屋空港(航空自衛隊小牧基地)に隣接する三菱重工業名古屋工場では、F―15J・イーグルのライセンス生産の態勢が、着々と整いつつあった

 それこそ、この直後にリアルタイム放送開始 となったTVアニメーション『Dr.スランプ』のオープニング・テーマ「ワイワイワールド」という訳でもないのだろうけれども、それはまさしく、
「来たぞ、来たぞ、F―15
 と言うに、相応しいものだったのであろう
「やったぞ ついに、新世代 の戦闘機 が、航空自衛隊に現れた
「待っていました
 その直後、到着したばかりのF―15J・イーグル戦闘機×2機 をバックにして、F―15J・イーグル戦闘機の選定・国産に関係した防衛庁、航空機産業関係者、報道関係者の記念撮影が行われたのである。そしてまた、このF―15J・イーグル戦闘機の歓迎式典は、歴代の航空自衛隊の戦闘機である、F―104J・スターファイター(栄光)やF―4EJ・ファントムを導入した時とは比べものにならないほどに、非常に大掛かりで豪華 なものになった。それほど、航空自衛隊がF―15・イーグル戦闘機に大きな期待を寄せていた事の、良い証明であろう
 こうして日本は、世界第2位のF―15・イーグル戦闘機の保有国となり、そして同時に、世界で唯一の非米国製のF―15・イーグル戦闘機の保有国ともなった

 それこそ、西暦1981年(昭和56年)当時を回顧してみれば、航空自衛隊初のF―15J・イーグル戦闘機×2機が、航空自衛隊岐阜基地に到来する10日前に本放送が終了したばかりのTVアニメーション『ニルスの不思議な旅』のニルスが、F―15J・イーグル戦闘機の1号機(02―8801号機)に乗って、自ら操縦して、航空自衛隊岐阜基地に降り立ったとしたら、センセーショナルな話題を巻き起こしたのでは、とさえ思う事もある。その一方、F―15J・イーグル戦闘機×2機が到来する1ヶ月前の、2月7日に放送が始まった特撮番組『太陽戦隊サンバルカン』の、初代バルイーグル・大鷲龍介(第1話 第23話)、2代目バルイーグル・飛羽高之(第23話 第50話)の2人が、F―15J・イーグル戦闘機に乗り込んで、操縦して来たとしても、違和感は全く無い とさえ思えるのである。

 この航空自衛隊初のF―15J・イーグル戦闘機×2機に続いて、パイロットの飛行教育訓練にも使用される複座型のF―15DJ・イーグル戦闘機×12機は、同様にマクダネルダグラス・セントルイス工場で生産されると、完成した後で、もう一度分解 されて、貨物船に船積みされると、太平洋を横断して、名古屋港に到着した後、名古屋空港(航空自衛隊小牧基地)に隣接する三菱重工業名古屋工場に運び込まれてから、ここでもう一度、組み立てられた。これは、「ノックダウン」と呼ばれる生産方式で、ライセンス生産に先行 する、組み立て工程の予行演習とも言えるものである。
 F―15J・イーグルより以前にも、F―104J・スターファイター(栄光)やF―4EJ・ファントムといった、歴代の航空自衛隊FX では、いずれもこの、「ノックダウン」生産方式を採用していたのである。

 さて、ここでもうお気付きになった方も多いと思うのだが、F―15Jの「J」は勿論、JAPANのJで、米空軍のF―15Cをベースとした航空自衛隊向けバージョンで、一方のDJは、F―15Dの同様のバージョンなのである
 わたし自身は今後とも、航空自衛隊の全てのF―15J/DJ・イーグル戦闘機が、1機として“戦闘喪失” する事なく、固定装備である口径20mmのM―61A1・20mmバルカン砲の“実弾”や、すべての空対空ミサイルの“実弾”を、「実弾射撃訓練」以外で、一度たりとも発射 する事もなく終わり、平和なままに飛行して、『普通の飛行機』として、天寿を全うして、平和なままに勇退してくれる事を願う 。そうなれば、F―15J/DJ・イーグル戦闘機は、世界中で最も綺麗で、平和で、無害な軍用機として、晴れて世界に誇れる のである。

 或る航空漫画 の主人公の台詞にもあるように、『抜かない剣こそ平和の象徴』と言えるのであるが、これは映画『宣戦布告』の劇中でも何度も言われている、『鞘の内』という言葉の、同義語でもある

『東京国際アニメフェア2009』のイベントに参加した。

 わたしは今日、『東京国際アニメフェア2009』(以下、TAF)に、朝早くから出掛けていた のである。
 今日・3月20日の書き込みは『魔法のプリンセス・ミンキーモモ』の30周年イベントを、主体とさせて頂こう
 30周年イベントの参加者の1人として、ありのままに30周年イベントの内容を書いて行きたい と思う。

 一度自分から「行く」 と決定した事は、「絶対」に取り消す 事はしない。それは、わたし自身のプライドが、許さない。小山茉美氏のファンとして、一度自分で決定した事を変更出来るものか 小山茉美氏に会えるのならば、30周年イベントという良い機会を、逃がしたくない わたしはそういう「断固たる決意」で、出掛けたのである

 わたしは、『TAF』の会場である『東京ビッグサイト』に出掛ける のは、今回が生まれて初めてなのであったが、わたしが会場の入口に到着した時には、既に大勢の人々がずらりと並んでいたのである。それを見た瞬間、最初は吃驚仰天したのである。『TAF』の開始時刻まで、わたしは後続の人と話をしながら、辛抱強く待ち続けてはいたけれども 、『魔法のプリンセス・ミンキーモモ』の30周年イベントの整理券が、無事に手に入れられる かどうかが、とても心配 であった
 イベントの整理券の配布数は、300枚 500枚くらいであると聞いていたのであるが、立ち見でも良いから、絶対に見たい と思ったのである

 わたしは入場してすぐに、プロダクション・リードのブースに直行 して、30周年イベントの整理券を入手 した。そうなのである 。今日はこれを見る 為だけに、そして小山茉美氏にお会いしたい為だけに来た 、と書いても、決して過言ではないのである
 30周年イベントが始まるまで、肌身離さず、わたしはその整理券を持っていた

『魔法のプリンセス・ミンキーモモ』の30周年イベントは、午後1時00分丁度に入場待機開始時間となり、整理券の番号順に並んで、係員の誘導に従いながら入って行ったのであるが、何故なのだろうか、整理券の番号が、「飛び石」的になっていたのである

 午後2時00分に、『魔法のプリンセス・ミンキーモモ』の30周年イベントが始まった 。イベントの司会 を声優の横山智佐氏が務められていて、ゲストに小山茉美氏と、小森まなみ氏(第2期の主題歌の担当)が登場して、またミンキーモモのイメージ・ガール2名「プッチモモ」や「ドリーム・ミンキーズ」と共に、歌と音楽のステージを、参加者に送る という、或る意味ではゴージャスなイベントであった

 30周年イベントのミンキーモモは、何故だか知らないが、第2期のミンキーモモ(以下、海モモ)がメインになっていて、
「どういう事だ
 と思う事もあったものだが、今回のイベントのゲストを、第1期のミンキーモモ(以下、空モモ)役の小山茉美氏に決定したという事も、プロダクション・リードの配慮によるものであろうか

 最初は、小森まなみさんの「夢見るハート」(海モモのOPテーマ)に始まって 、次に司会の横山智佐氏が、小山茉美氏と小森まなみ氏にお話を聞くという展開であった。わたしは今回のイベントの開催中、最前列から4列目の席の1つに座っていたのであったが、「生」で小山茉美氏にお会い出来るのは、3年前の夏、CD発売記念の、トーク・ライブ&サイン/握手会の時以来だったのだから、とても嬉しかったのである

 小山茉美氏のお話の中で、僅かな一瞬ながらも『ニルスの不思議な旅』のニルスを演じていたとされるお話が出て来た瞬間、座って聞いていて、わたしは思わず身が、“キーン”と引き締まったのである。
 やはりそう来たか と思って、聞いていたのであったが、後述するように火曜日も書いた通りにわたしが来るのだろう と想像されて、小山茉美氏も、『ニルスの不思議な旅』のお話を持ち出されたのであろうか
 小山茉美氏の声は、土曜日の夕方に、テレビ朝日系列で放送中のバラエティー番組『賢コツ』のナレーションそのままで、その一方では、タリア・グラディス艦長の再来にも感じられたのである

『魔法のプリンセス・ミンキーモモ』の30周年イベントは、小山茉美氏御自身が、小森まなみ氏や、ミンキーモモのイメージ・ガール2名「プッチモモ」や「ドリーム・ミンキーズ」と共に歌う、『ラブ・ラブ・ミンキーモモ』の唱和を以って、午後2時30分で終了したのだが、わたしも及ばずながら 唱和させて頂いたのである。もっと時間が長ければ良かったのだが とわたしは思ったのであるが 、それでも「生」 で、小山茉美氏にお会い出来た事が、わたしにとって、どれほど嬉しかった事か
 今回の『魔法のプリンセス・ミンキーモモ』の30周年イベントに花を添えた、ミンキーモモのイメージ・ガール2名「プッチモモ」や「ドリーム・ミンキーズ」にも、改めて拍手を送りたい

 実は今日、色紙やペンや「贈り物」も持参して、チャンスがあれば、イベントの終了後に小山茉美氏のサインを頂きたいと思ったが、その後は小山茉美氏にお会い出来なかったので、一寸残念であった。
「贈り物」は、日を改めて、郵送させて頂くとしよう

 わたしはこの後も、『ぴえろ』のブースにも行って みたのだが、残念ながら、その第1作となる『ニルスの不思議な旅』に関係するものは、1つも見当たらなかったのである。西暦1980年1月8日からの本放送当時の最終回であった火曜日も書いた事であるが、こちらも本放送30周年を迎えるというのに。

 この後、帰路につく人々 で、会場が大混雑する前に、わたしは『TAF』の会場の、『東京ビッグサイト』を後にして、帰路についたのである

返事の葉書が届いた時には、嬉しかった。

 わたしは先日に、或るTVアニメーションで、主役を演じられた声優さんに宛てて 、バースデイ・カードを送った のである
 主役のキャラクターに、ベルギー王国空軍のジェネラル・ダイナミックス(現:ロッキード・マーチン)の主力戦闘機である、F―16AM・ファイティングファルコンのファイター・パイロットが着用する、パイロット・スーツを着用させて()、日の丸の鉢巻―『只今●参上』と表記した―を締めた姿にアレンジして、描き写したバースデイ・カードなのである

 そして今日、その主役のキャラクターを演じられた声優さんから、わたしに返事の葉書が来たのである。その声優さんは、返事の葉書の中で、
「(主役のキャラクター)に、様々なファッション をさせてくれまして、ありがとうございます
 と、書いて下さったのである。主役のキャラクターであるのならば、アニメーションから外れようとも、多少は格好良い 服装にしても、問題はないであろう

 なお、その主役のキャラクターを、F―16・ファイティングファルコン戦闘機のファイター・パイロットに仕立てて描き写した年賀状は、我が国のF―2戦闘機に「こじつける」意味を込めて、西暦2009年1月現在、F―2戦闘機が配備されている、日本全国4ヶ所の基地―青森県三沢基地の、第3航空団第3飛行隊/第8飛行隊、福岡県築城基地の、第8航空団第6飛行隊、宮城県松島基地の、第4航空団第21飛行隊、岐阜県岐阜基地の、飛行開発実験団飛行実験群・飛行隊の各隊長に宛てて、送っている。
 その主役のキャラクターを演じられた声優さんが、この事を知った時は、如何なる顔をするだろう やはり、呆れるよりも前に、苦笑してしまうであろうか

 何故なのだろうか、その声優さんは、薄幸のキャラクターを演じられている事が多いのである。TVアニメーション『ニルスの不思議な旅』第14話“月夜に浮かぶ幻の街”のゲスト・果物売りのペテロ、『ドラえもん/のび太の海底鬼岩城』のゲスト・少年兵エルも同様に、薄幸のキャラクターであるという事は共通しているのだが、その一方では、自分の故郷が海底に沈没した事でも、何処か類似するキャラクターであると言っても、過言ではないであろう
 
 本来ならば、わたしは『ニルスの不思議な旅』の主人公・ニルス役の女性声優・小山茉美氏の直筆の返事が欲しい のであるが、小山茉美氏は筆不精なのであるが故に、ホームページ を開設されているのだから、流石に文句は言えない。返事が来ないからといって、カリカリとしていては、駄目なのである。

 今度は『ニルスの不思議な旅』の主人公・ニルスが、陸上自衛隊の91式外套(オーバーコート)、またはイギリス陸軍のセーターなどを羽織った姿を、クリスマスカードにでも描き写して、ニルス役の女性声優・小山茉美氏に、年末のクリスマスプレゼントとして送ってみる事にしましょうか

西暦1981年3月17日、『ニルスの不思議な旅』TVシリーズが最終回を迎えた。

 今日・3月17日は、或る意味では「別れ」の日でもあった。

 西暦1981年(昭和56年)3月17日(火曜日)午後7時30分。
 まさにその瞬間に、●●●総合テレビで、TVアニメーション『ニルスの不思議な旅』のリアルタイム放送の、最終回“さようなら アッカ”が、スタート した瞬間であった。
 始まり があるものには、いつかは必ず終わりが来る 。わたしは、そういう寂しさ を感じられた瞬間でもある。

 最終回“さようなら アッカ”で、ニルスの故郷の、南部スコーネ地方にある、ニルスの実家に帰って来たばかりの鵞鳥のモルテンだが、あと数日後に迫った聖マルタン祭の晩餐の御馳走にされる為に、ニルスの両親によって、灰色雁のダンフィンや子供達と引き離されてしまったのである。そして、鵞鳥のモルテンはニルスの両親に捕まってしまって、ニルスの実家の台所に連れて行かれて、首を刎ねられる寸前だった。

 親友である、鵞鳥のモルテンの命と引き換えに等身大 の人間に戻るか、それとも実家に帰るのをすっぱりと諦めて雁の群れと共に南下するか、2つに1つ。だがこのままでは、モルテンが首を刎ねられてしまう かけがえのない親友を犠牲にする事は、断じて出来ない
「ぼく自身は、どうなろうとも一向に構わない。しかしながら、鵞鳥のモルテンは、ぼくの命に代えても、何としてでも救出する」 
 二ルスは、自分が小人になっている事も完全に忘れて、ハムスターのキャロットやコウノトリのエメリック、ニルスに魔法をかけた 妖精が制止するのを気にも留めず、実家の玄関に向けて、全力疾走を開始した。最後にニルスの優しい心が、自身にかけられた妖精の魔法 を打ち砕いたのである。その瞬間に、二ルスは、一気に小人 から、等身大 の人間に戻ったのである そして鵞鳥のモルテンも、無事にニルスに救出されて、まさに大団円 になったのである

 そして最終回“さようなら アッカ”のクライマックス、等身大に戻ったニルスと、アッカ隊長が率いる雁の群れとの別れ。越冬する為に、南に向かって飛び去って行く雁の群れに、ぼくはこの大地を大切にして行く、と誓うニルス。
 しかしながら、鳥の悲しみは、そう長く続くものではない。ニルスにはその事が、良く分かっていた。
 出会う為に別れる者がいれば、別れる為に出会う者もいる。

 そして最後の瞬間、夜明けの太陽の光を全身に浴びながら、無限の蒼穹に向かって上昇して行く雁の群れを見送るニルス。爽やかに澄み切ったニルスの笑顔、瞳の奥には、清々しい光が輝いているように見える―。
『ニルスの不思議な旅』最終回“さようなら アッカ”は、こうして終わりを告げた

 最終回“さようなら アッカ”を見て、号泣した人々も多かったのは非常に有名な話である。そしてこれは、『ニルスの不思議な旅』を、1年間にわたって見ながら、ニルスと共に笑い、泣き 、楽しんで来た 、視聴者 に限らず、『ニルスの不思議な旅』の4クール全52話の制作に関係していた全てのスタッフ 、主人公のニルスを演じられた小山茉美氏を始めとする全てのキャスティングに、共通している事だったのである

 主人公のニルスを演じられた小山茉美氏は、この時のアフレコで完全に感極まってしまって 、3回もリテイクを出してしまわれたのであるが、スタッフが良い台詞を編集して、1本に通してOKを出した、という。約1年間、主人公のニルスと取り組んで、ニルスの心を誰よりも一番良く知っていたのは、ニルス役の小山茉美氏御本人なのである。
 だからこそ、最終回“さようなら アッカ”のアフレコの時に、小山茉美氏が完全に感極まってしまった 事は、至極当然であろう

『ニルスの不思議な旅』の制作 が完全に終了 して、最終回“さようなら アッカ”が放送される直前の、西暦1980年(昭和55年)11月29日に開催された、打ち上げパーティーでは、小山茉美氏もその時のインタビューで、
「最終回のアフレコの際に、感極まって しまいまして……台詞がきちんと言えたかどうか、とても心配です」
 と感傷的 に話されていたのだが、これまでに何度も再放送されて来た故に、ニルス役の小山茉美氏の台詞は、わたし達視聴者にもきちんと伝わっている 。そして、関連書籍 に掲載されていた写真には、
「ニルスは絶対に、誰にも渡しません
 とでも言うかの如く(実際に言ったとも思われるのだが)、打ち上げパーティーに特別参加した、着ぐるみのニルスを庇う、小山茉美氏の姿もある

「伝説の傑作アニメーション」と、様々な方面から、高い評価 を受けた『ニルスの不思議な旅』も、来年・西暦2010年(平成22年)で、本放送から丁度30周年を迎えるのだが 、これを良い機会にして、『ニルスの不思議な旅』TVシリーズと劇場版の全ての音楽を、余す事無く完全収録した『完全版サウンドトラックCD』や、TVシリーズと劇場版の全ての設定資料、ニルス役の小山茉美氏を始めとするキャスティング、スタッフのインタビューなどを、完全収録した『設定資料全集』 などが発売される事を、わたしは願って いるのだが、わたしと同じ事を願っている 方も決して少なくない筈である
 TVシリーズと劇場版の、「ブルーレイ」の発売も望ましいだろう

 こうした意味で、今日・3月17日は、わたしにとって、或る意味では「別れ」の日でもある

3月16日は、個人的な理由のある日。

 今日・3月16日は、わたしの祖父の命日である。その為に、わたしは実家の仏壇の祖父に対して、きちんと、
「2回の礼・2回の拍手 ・1回の礼
 をして、祖父を偲んだ
 そしてまた、3月16日は、わたしにとって、「個人的な理由のある日」なのである

 今を去る事、約15年前の西暦1994年(平成6年)3月16日の事である。
 その当時は、日本のロックバンドグループ『LINDBERG』が作詞・作曲した「GAMBAらなくちゃね」という歌の、シングルCD(TKDP―70309)がリリース された日であった。「GAMBAらなくちゃね」は、「進研ゼミ」の当時のCF曲であった

 その後日に、わたしは「GAMBAらなくちゃね」のシングルCDを購入して、初めて 聞いた のであったが、わたしはその瞬間に、「GAMBAらなくちゃね」が非常に気に入ったのである。その後も、現在に至るまで、わたしは何度もこの曲を聞いて いる。わたしが自分自身で、「GAMBAらなくちゃね」の替え歌まで作った事がある
「GAMBAらなくちゃね」は、『LINDBERG』が解散した西暦2002年(平成14年)に声優ユニットの『Prits』にカバーされているが、わたし自身は、『LINDBERG』の渡瀬麻紀氏が歌う「原曲」の方が好きなのである

「GAMBAらなくちゃね」のシングルCDがリリース されたのと同じ、西暦1994年(平成6年)3月16日には、トム・クルーズが主演した航空アクション映画『トップガン』がTVで放送されたのであるが、西暦1994年(平成6年)当時は『トップガン』でも大活躍した、グラマンF―14・トムキャット主力戦闘機が米海軍から退役し始めて、それと並行してF―14・トムキャットの飛行隊も、解散し始めていた時期でもあった。そのせいもあったからだろうか、『トップガン』の影響もあって、F―14・トムキャットが大好きだったわたしにとって、当時の『トップガン』のTV放送は、何だか感傷的 にさえ思えたのである
 映画の冒頭で、航空母艦「エンタープライズ」から、可変翼を大きく展開して、アフターバーナーを噴かして離艦する、F―14・トムキャットの雄姿には、ケニー・ロギンスの「デンジャー・ゾーン」が被さるからこそ、「迫力」が感じられるのであるが、当時のわたしとしては、航空母艦「エンタープライズ」から、F―14・トムキャットが飛び立つシーンに、「GAMBAらなくちゃね」が被さっても、おかしくない と、思っていたのである

 F―14・トムキャットは、約3年前の西暦2006年(平成18年)を以って米海軍から完全に退役したのであるが、これ以外にもイラン共和国で、現在でもF―14・トムキャットは飛んでいる。
 西暦1974年(昭和49年)、当時は帝政時代だったイランの帝王であったレザ・パーレビが、79機のF―14・トムキャットを発注して、イラン空軍の主力戦闘機にしたのであったが、西暦1979年(昭和54年)1月16日の『イラン革命』以降は、米国の支援も止まってしまって、イラン空軍のF―14・トムキャットの稼働率は、極端に低下した のである。しかしながら、現在に至るもなお、イラン独自の自力再生、所謂「共食い」整備なり、ロシア連邦の支援なりを受けて、イラン空軍のF―14・トムキャットは20機から30機程度が稼動状態にあり、実戦配備に就航していて、イラン空軍の最強の防空戦闘機の地位をキープしているのである
 これはまさしく「インシャラー」(全ては神様の思し召しのままに、という意味の言葉)と言えるだろう

『LINDBERG』の「GAMBAらなくちゃね」は、西暦2006年(平成18年)現在でもなお、イラン空軍の最強の防空戦闘機の地位をキープしている、F―14・トムキャットにも、見事に適合する歌であるとも言えるだろう
 そしてまた、昨今の不況が原因の「派遣切り」によって、つらい境遇に遭っている人々にも、「GAMBAらなくちゃね」が元気 を与えてくれる 事を、願って やまない。

 3月16日は、わたしの祖父の命日であると同時に、西暦1994年(平成6年)の同月同日に、『LINDBERG』の「GAMBAらなくちゃね」の、シングルCD(TKDP―70309)がリリース されて、その同日に『トップガン』がTVで放送されたものだから、わたしにとっては「個人的な理由のある日」なのである

今日の新規開店で、府中市内では4店舗に増加した。

 今日、わたしの住んでいる府中市の分梅町、JR南武線と、京王電鉄京王線が交差する、分倍河原駅の南口に、株式会社サミットストア・ミナノ分倍河原店が、新規開店 したのである
 午前10時00分、関係者によるテープカットの後、大勢の買い物客が、続々とミナノ分倍河原店の店内に入って行った。

 これまでに、株式会社サミットストア(以下、サミットと表記)は、府中市内に3店舗(西原店、東府中店、若松店)を展開しているのだが、わたしは時として、朝食の食パンなどの買い物に出掛ける際、実家から一番近い、西原店を利用している事が多い
 しかしながら、最近は、サミット西原店では、或る銘柄の食パンを見掛けなくなったので、或る銘柄の食パンは、そのすぐ隣のスーパーマーケットで買うか、場合によってはサミット東府中店まで出掛けて、買いに行かなければならない

 今日、新規開店 した、ミナノ分倍河原店は、サミットと同じ建物の中に、ブックオフ や蔦屋書店 の両方が入ったのである。両方で共通して使用出来る「Tポイントカード」が、使える事になる。その分、ポイントも増大する事になるのである
 また、ダイソーも入ったのだから、売り場の面積が相当大きい 分、色々な売り物が揃っている。これで府中市内には、京王電鉄京王線府中駅北口の、アートマンの5階、6階にある店も含めて、ダイソーが2店舗に増加した事になるのである

 流石に、武蔵村山市の『イオンモール武蔵村山ミュー』には及ばないだろうけれども、府中市内にこれほどの店舗が、新規開店 したとあれば、地域経済の活性化にも繋がるだろうか
 駐車場には445台が駐車出来て、駐輪場には、ほぼ同数の450台が駐輪出来る

 そして、あと2日後の14日になると、JR南武線西府駅も新規開業 するのだから、JR南武線沿線の多くの住民にとっては、交通の便が良くなる事だろう。事実、これまでのところは、JR南武線分倍河原駅谷保駅の間には駅がなかったので、JR南武線沿線の多くの住民にとっては不便そのものだった筈であるが、今回、西府駅が新規開業 するとあれば、わたしが先にも書いた 通り、交通の便が良くなる事だろう

 ひとまずは、サミット・ミナノ分倍河原店の新規開店 を、わたしも府中市民の1人として、心の底からお祝い したい

『春の全国火災予防運動』の一環、『立川防災フェア』。

『春の全国火災予防運動』 は、毎年3月1日から3月8日にかけて実施されている。そして、その一環として、東京都立川市の陸上自衛隊立川駐屯地(立川広域防災基地)に隣接する、東京消防庁立川消防署がその時期に開催している、『立川防災フェア』というイベントがある。わたしは今日、そこに出掛けて来た

『立川防災フェア』の会場は、東京消防庁立川消防署の中の一角、消防救助機動部隊―一般に言う「ハイパーレスキュー」―の本部の、訓練場であった。午前9時30分に会場が開いて、それと同時にわたしは、早速、梯子車(立川L)の体験搭乗の整理券を入手したのである

 午前10時00分。いよいよ『立川防災フェア』のオープニング・セレモニーが開催されようとした、丁度その時であった。会場である消防救助機動部隊の本部の建物のスピーカーから、緊急通報が流れた。それというのも、近隣の武蔵村山市で交通事故 が発生した為、消防車(レスキュー車) の出動 を要請するものであった。
 東京消防庁立川消防署には、第8消防方面本部も所在している。おそらくは、交通事故 の当事者、若しくは目撃者 からの、119番通報 が、第8消防方面本部の「多摩災害救急情報センター」にかかって来た のであろう 。レスキュー車 が要請されたと言う事は、相当な重大事故に間違いない

『立川防災フェア』のオープニング・セレモニーのテープカットが行われる直前になって、先刻の119番通報 を受けて、レスキュー車 と救急車が1台ずつ、赤色回転燈を光らせながら 、サイレンも高らかに鳴らしながら、緊急出動 して行ったものだから、『立川防災フェア』の会場には一瞬、緊迫した空気が漂った。その直後、主催者・関係者の手によってテープカットは無事に行われたのである

 主催者・関係者のスピーチは飛ばしておく が、その後に始まった消防訓練は、本番さながらの「緊迫感」 に満ち溢れていた
 消防車の「代表選手」でもあるポンプ車 を筆頭に、レスキュー車 や大型化学車 や救急車も続々と登場して、消火作業 や人命救助を展開したのだが、それはもう迫力 の一言に尽きたのである。災害現場のビル(消防救助機動部隊の訓練場)から地上へ、まるでロープウェーのように被災者を素早く滑降させるシーンは、毎年初めの『消防出初式』でも御馴染みであるが、間近で見ると、「迫力」 が違う
 そればかりではなく、今回の消防訓練はさらに盛り上がりを見せたのである。立川消防署と第8消防方面本部に同居している、東京消防庁航空隊のAS―365「ドーファン」ヘリコプターも飛来して、大活躍をしたからなのである

 最後には、消防訓練に参加した全ての消防車 や、大昔に活躍した人力式のポンプ車などによる一斉放水 で見事に決定する ……筈だったのであるが、その時は風向きが悪く、何とその一斉放水 の水が、向かい風に流されて、こちらに逆流して来てしまったのである もっとも、会場には、
「一斉放水 の際には、風向きによって、水が逆流して来る事もありますので、御注意下さい」
 というアナウンスもあったのだが。この為に、ギャラリーが吃驚仰天して、
「うわあ、逃げろーっ
「冷たい こちらに水が吹いて来たぞ
 と、逃げ出す始末であった。わたしもその1人であり、わたしの着用していた外出用のフライトジャケットや、おろしたてのジーンズ も、びしょ濡れ で台無しになってしまった あーあ。暫く時間が経ってから、乾いたのであるが
 それでも、災害現場では、時としては思いもよらない「突発事故」や「二次災害」も発生するだろうから、一斉放水の逆流も「二次災害」の一種である、と割り切ってしまえば、それで良いのであろう

 東京消防庁航空隊のヘリコプターは、アエロスパシアル(現:ユーロコプター)ものが圧倒的に多いのだが、2機種が航空隊の専用ヘリポートで展示されていた。その中でも最大級のヘリコプターである、AS―332L「シュペルピューマ」は西暦2004年の『新潟県中越地震』の際、東京消防庁の消防救助機動部隊が中心になり、長野県・栃木県の緊急消防援助隊などと連携して、自身の崖崩れで数日間も埋まっていた乗用車から、2歳の男の子を救出して、病院に搬送したヘリコプターとしての、印象的な記憶がある
 その乗用車に乗っていて、生き埋めになっていた他の2人の母子も、消防救助機動部隊に救出されてから、病院に搬送したものの、その母子は残念ながら病院で死んでしまった。男の子には、母子の分まで長生きする事を望むばかりである

 一方、AS―365「ドーファン」は、「フェネストロン」という換気扇のようなテールローターを装備しているのが特徴で、騒音が少ないそうだが、意外とその独特の高周波音がビンビンと響くので、日中はともかく、夜間には飛ばして欲しくないものである。
 数年前、わたしの家の近隣の、国分寺市で火事があった時に、このAS―365「ドーファン」が現場統制の為に飛来して、周回飛行していたのであるが、火事があった時間が夜間だったものだから、「フェネストロン」の独特の高周波音が周辺一帯にビンビンと響いたので、一睡も出来なかったのである。当時、わたしと同じ思いをした人は、何人もいたに違いない
 それでも、映画『ブルーサンダー』(西暦1983年)に登場した、特別ヘリコプター「ブルーサンダー」の原型となった、SA―341「ガゼル」というヘリコプターもまた、同じフェネストロンを搭載しているのだから、嫌いとは言えないのである

 その時、隣接する陸上自衛隊立川駐屯地では、何がしかのセレモニーが行われていたのか、UH―1J「イロコイス」般用ヘリコプターや、OH―6D「カイユース」観測ヘリコプターが飛行していたので、そちらも見て楽しんだのである。わたしにはその詳細は分からなかったのだが、東部航空方面隊か、第1飛行隊の関連行事だったのであろうか
 これぞまさしく、一石二鳥と言えるだろう

 梯子車(立川L)の体験搭乗は、地上高 が約20m程度で、時間も2分弱とそれほど長くはなかったが、久しぶりに体験したせいで、わたしは相当に緊張したのである。これまでにも、毎年秋 に近隣の国分寺市の「武蔵国分寺公園」で開催されている『国分寺祭り』で、国分寺消防署の梯子車(国分寺L)の体験搭乗をしていたのだが、近年はその機会もなかったので、緊張したのだろう。

 消防救助機動部隊の大型化学車は、わたしの好きな車輛である。これほどまでにタフ で、ガッツ で、パワフル で、スパルタン な印象のする消防車 も、多くはあるまい。大型化学車は日野自動車のものに更新 されていたのであるが、わたしはどちらかと言えば、大型化学車は先代のいすず自動車の方が、お気に入りなのである
 わたしは、スマートでスポーティーな車輛も好きだが、こうした、厳めしいデザインの特殊車輛も好きなのである

『立川防災フェア』は午前9時30分から午後0時30分までの3時間であった。
 わたしは帰り際に、来場者用の駐車場に回り、そこに駐車されていた消防救助機動部隊の車輛も見た。そこには、ドーザーショベルやパワーショベルやブルドーザーなどの建設機械(重機とも言う)を搭載したセルフローダートラックや大型クレーン車などもあったので、消防救助機動部隊が、『阪神・淡路大震災』を教訓にして新編 された事が、わたしにも良く分かる。ドーザーショベルやパワーショベルやブルドーザーなどの建設機械を搭載したセルフローダートラックは、さながらアニメ『機動警察パトレイバー』に登場した、99式レイバーキャリアを連想させる
 わたしは、ドーザーショベルやパワーショベルやブルドーザーなどの建設機械も大好きなので、それを見ていて、胸が熱くなった。

 その後で、わたしは立川消防署に隣接する『立川防災館』にも立ち寄って、そこで非常食を試食する機会を得た。その中の「ソフトパンの罐詰」は、「フワッ」とした食感だったので、カステラかカップケーキのようであった。おやつにするには、もってこいのものだろう
 それから、わたしは家路 についた。

 命懸けで頑張る 消防隊員に感謝すると共に、わたし達もまた、絶対に火事を出さないように、気を付けなければならないのである

わたしは2ヶ月に一度、散髪をする事にしている。

 今日、わたしは行きつけの理髪店に出掛けて、2ヶ月ぶりに散髪して来たのである

 わたしが、行きつけの理髪店に出掛けて、散髪するのは、2ヶ月に一度、それも月末(25日 31日)の割合になる事が多いのであるが、混雑を避ける為に、午前9時00分に理髪店が開店すると同時に、入店する事が多い。大抵の場合、行きつけの理髪店の前では、わたしの他にも、4、5人の客が、開店待ちで並んで待っているのだが、今日は珍しく、理髪店の前で開店待ちをしていたのは、わたし1人だけであった。珍しい事もあるものだな と思った

 わたしが今日、行きつけの理髪店の開店と同時に入店 して、散髪をして貰っている、最初の20分 30分の間は、わたしの他には1人も客がいなかったものだから、その最初の30分間がまるで、わたし1人の貸し切りの時間のようにさえ思えたのである。たまには、そういう事があっても、良いだろう

 わたしは、散髪をする際には、もっぱら「スポーツ刈り」にして、揉み上げを落として、前髪を短くする事を注文しているのだが、これは昔からの「習慣」である。また、或る時は「丸刈り」にした事も何度かあるのだが、男としては、そういう髪型に散髪する方が、すっきり とするに決まっている。軍人のようなミリタリーカットも、良いだろう。伸ばし放題の、むさ苦しい 長髪などは、論外中の論外なのである。

 ここで、散髪の話題にも繋げる意味で、日本国陸上自衛隊の『特別儀杖隊』についても触れてみよう
 陸上自衛隊・東部方面総監直轄の第302保安中隊は、国賓来賓時の特別儀仗という、国家的行事などの特別支援任務を与えられているので、『特別儀杖隊』とも呼ばれているのだが、対象となる国賓などに対して、身辺の警護の意志を表明して、国家儀礼と敬意を表するものである。だからこそ、隊員の1人1人には、厳格 な規律 と一糸乱れぬ行動が要求されて 、容姿端麗(俗に言う『イケメン』の事だろう)、身長175cm 180cm、その他の体格にも一定の基準 で選抜されて、厳しい 訓練が課せられている 。体力が優秀なだけではなく、見た目の折り目正しさなども、第一級。である事を要求されるというのだから、第302保安中隊、『特別儀杖隊』の条件は、大変に厳しい ものである

 この陸上自衛隊・第302保安中隊、『特別儀杖隊』の隊長・隊員も、散髪は、念入りにやっているという。散髪は、最低でも1ヶ月に2回は行なう()と聞くのだが、これは部隊から支給される 、散髪代での基準で、実際には1週間に1回の割合で散髪をする隊員も珍しくはないのだし、髭などは1日に2回剃る隊員も、多くいるという
 ここまで『身嗜み』に気を使う部隊も、それほど多くはないであろう

 わたしの場合は、先に書いたように、行きつけの理髪店に出掛けて、散髪するのは2ヶ月につき一度、それも月末(25日 31日)の割合になる事が多いのであるが、行きつけの理髪店の散髪代とて、馬鹿にはならないのである
プロフィール

鷲尾ミサゴ龍輔

Author:鷲尾ミサゴ龍輔
アニメーション『ニルスの不思議な旅』&航空機関係作品&音楽鑑賞&航空機&日本国自衛隊の資料収集が大好きな、東京都民です。

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